97年に大阪・梅田に開業して14年。2007年に東京に開業して4年。日本ではリッツ・カールトンブランドが完全に定着した。しかし、開業当初、「ディスカウントホテル」と間違えられた時代を知る人はどれだけいるだろうか?
前ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長で、11月11日に『リッツ・カールトンとBARで学んだ高野式イングリッシュ』を刊行した高野登氏は、ホテルスクール卒業後、単身アメリカに乗り込み、ヒルトン、プラザホテル、創業期のリッツ・カールトン等の超一流ホテルで20年勤務。一方で、夜はストリートバーに繰り出し、“アブナイ英語”で他流試合を繰り返してきた。
今日から5回連続で始まる、文法ハチャメチャでも「本当に使える!体当たり英語」。超一流ホテル(表の英語)からストリートバー(裏の英語)まで、その舞台裏ではどんな会話が繰り広げられているのか?(構成:藤吉豊、撮影:橋詰芳房)
文法がハチャメチャでも、通じればいい
「高野さんは、リッツ・カールトンの日本支社長にまでなった人だから、洗練された英語を話すに違いない。完璧なクイーンズイングリッシュを話すに違いない」
と思われているようですが、じつを言うと、それはみなさんの妄想です(笑)。
なぜなら私は、大の勉強嫌いで、これまでに一度も、きちんとした英語教育を受けたことがありません。
人とホスピタリティ研究所所長。前ザ・リッツ・カールトン・ホテル日本支社長。1953年長野県戸隠生まれ。ホテルスクール卒業後、単身アメリカに渡り、20年間、ヒルトン、プラザホテルなどでホテルマンとして活躍。90年にはリッツ・カールトンの創業メンバーとともに開業に尽力。94年以降、日本支社長として、大阪と東京の開業をサポート。日本にリッツ・カールトンブランドを根づかせる。全国から企業研修、講演依頼があとを絶たない。
私がアメリカに滞在した20 年間に話していた英語。そして日本に戻り、ビジネス現場の表舞台、裏舞台で使ってきた英語。それは正真正銘の「ブロークン・イングリッシュ」です。
私が使ってきた英語は、「完璧さ」からはほど遠いですし、ネイティブの方からは失笑を買い、有識者からはお叱りを受けるものだと覚悟しています。
けれど、自分の思いを伝え、相手の思いを汲むことができるのであれば、「完璧である必要はない」というのが私の考えです。
言葉は、「人間関係を育む道具」ですから、たとえ文法がハチャメチャでも、「通じればいい」わけですね(笑)。
ブロークンな英語で話しかけても、友人を失うことはありません。でも、話しかけてみなければ、友人をつくる機会を失ってしまいます。だから私は、「文法ハチャメチャ」でも意に介さず、外国人に堂々と話しかけてきたのです。
英語は、「思いを伝える道具」
プリンスホテルスクール(現日本ホテルスクール)を卒業後、1974 年の秋に、私は、ニューヨークに到着しました。
就労ビザを取得後、「ザ・キタノ・ニューヨーク」で働き出してしばらくすると、日本で習った「紋切り型の英会話」では役に立たないことを思い知らされました。
ホテルマンの王道を歩むなら、「コーネル大学」や「ポールスミス大学」に進むのが常道です。それらの大学なら、初めから洗練された英語を学ぶことができたと思います。
でも私は、脳みそのデキの悪さに加えて(笑)、どうしてもアカデミックな世界に興味が持てませんでした。
机の上で学ぶよりも、人と人とのつながりを肌で感じたほうが、「生きた英語」が身につくのではないか……。
私は、ニューヨークの酒場でのやり取りや、アメリカ人の同僚たちとの仕事を通して、ブロークンながら「英語の対話力」を磨いていったのです。
彼らが日常的に交わす英語は、「お行儀のいいビジネス英語」ではありません。それは私からすると、まさに「思いを伝えるための道具」「生活に根ざした英語」に思えました。