2011年3月11日、
精神障害者たちの完璧な津波避難
北海道日高支庁、襟裳岬の北西に位置する「浦河」という町をご存知だろうか?
面積は約700平方キロメートル。東京都区部(約620平方キロメートル)より若干広い程度である。東京都区部には約900万人が在住しているが、浦河町の人口は約1万4000人。年々、過疎化と高齢化が進む、地方の典型的な小規模自治体である。産業は、主に農業・漁業・農産物や漁獲物の加工と販売で成立している。「サラブレッドと日高昆布の産地」といえば納得される方も多いであろう。
浦河の市街地は、海に迫った丘陵と海の間を走る浦河街道に沿って東西に延びる集落と小さな商店街、丘陵の中腹に点在する集落で出来ている。もし防潮堤を越えて津波が押し寄せたら、市街地の重要な部分はほとんど被災してしまう。
2011年3月11日、東日本大震災の際、浦河町は震度4の地震とともに、高さ2.7メートルの津波に襲われた。浦河町の市街地を守る防潮堤の高さは4メートルあったため、市街地は津波被災を免れたが、船舶・港湾施設は被災した(「広報うらかわ」(浦河町)2011年4月号)。
このとき、浦河町で、大震災発生直後に「完璧」というべき津波避難をやり遂げた人々がいる。浦河の市街地に住んでいる精神障害者たちである。
Photo by Yoshiko Miwa
浦河町には「浦河べてるの家(以下「べてるの家」)」がある。「べてるの家」は、精神障害者たちの生活共同体・働く場としての共同体・ケアの共同体という3つの性格を持ち、精神障害者グループホーム・作業所・喫茶店・地域特産物の販売・出版など多様な事業を手がけている。「べてるの家」のグループホームを中心に集い住む100名以上の精神障害者たちは、時に差別を受けたりトラブルを起こしたりもしながら、浦河の町に根付いて生活している。メンバーには長期入院を経験した重度の精神障害者も少なくないが、施設に閉じ込められるのではなく、浦河の町の中で地域生活を営んでいる。
精神障害者の地域生活に関する「べてるの家」の独自の取り組みは、世界中から注目されている。「べてるの家」視察のために、国内外から年間約3000人が浦河町を訪れる。浦河町にとって、「べてるの家」は貴重な観光資源でもある。
今回の東日本大震災に際しては、津波が浦河町に到達するよりも早く、「べてるの家」のメンバーのうち海の近くに住む約60名全員が、かねてからの訓練に基づき、「4分で10メートル」の掛け声のもと、高台への避難を終えていた。「4分で10メートル」とは、「津波は地震から最短5分でやってくるから、地震後4分で高さ10メートル分の避難ができれば助かる」ということである。この訓練は国立身体障害者リハビリテーションセンター研究所(当時。現在は国立障害者リハビリテーションセンター研究所。以下、国リハ研究所)のプロジェクトの一環として、平成16年~平成18年の3年間にわたって行われ、その後も独自に継続されていたのだが、極めて有効であると実証された形となった。