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「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

我々は大震災で「越えてはいけない一線」を越えた
今問い直すべき遺族とのつながり、そして日本人の心

――福田逸・明治大学商学部教授のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【最終回】 2011年12月20日
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 この連載も最終回となるが、今回は遺族について考えたい。私がこの9ヵ月間、被災地を歩き、今回の震災で「最も虐げられた人々」と感じるからである。

 遺族を襲ったのは、地震や津波だけではない。実は、日本の社会からも政治からも、疎んじられつつある。それを多くの日本人は黙認する。声を出すことすらできずに、苦しむ遺族たちに思いを寄せる識者へ取材を試みた。


「踏み越えてはいけない一線」を越えた
今や震災について語る人さえいない

明治大学教授の福田逸氏。

 「私たちが最も考えるべきは、遺族のこと。だが、今や震災について語る人すら少ない」

 明治大学商学部教授の福田逸氏は、そう疑問を投げかける。大学では演劇や翻訳のゼミを担当する一方、舞台の演出をしたり、政治や経済への発言も行なう。さらに、こう踏み込む。

 「今回の震災では、阪神淡路大震災などと比べると、行方不明者がはるかに多い。今になっても “戻らない死者”を待つ遺族もいる。その人たちの心がわからない人が、原発の危険性について語っても説得力がない」

 福島で爆発した原発を憂いながらも、遺族について語り続ける。原発は必ず人類の英知が克服する。そのような原発に囚われるよりも、遺族に重きを置くことにこそ強い関心を払うべきというのが、この震災に関する福田氏の強い信念である。

 「被災地では、2万人近くの人が死者・行方不明者となっている。3月11日、この人たちはたまたま、あの地にいたから巻き込まれた。もしかすると、我々が震災に襲われていたのかもしれない。2万人の死を自分のこととして受け止めることができないこの国は、何かが間違っている」

 福田氏は、震災発生から1ヵ月が過ぎた4月下旬、被災地の宮城県を訪れた。「発信者として、何かを感じ取っておきたいと思った」

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


「生き証人」が語る真実の記録と教訓~大震災で「生と死」を見つめて 吉田典史

震災から5ヵ月以上が経った今、私たちはそろそろ震災がもたらした「生と死の現実」について、真正面から向き合ってみてもよいのではなかろうか。被災者、遺族、検死医、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを詳しく取材し続けた筆者が、様々な立場から語られた「真実」を基に、再び訪れるともわからない災害への教訓を綴る。

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