契機は日経連のレポート
「雇用ポートフォリオ」で人件費管理

 賃金をめぐる労使関係の変化を、戦後日本経済の歴史とともに振り返ってみましょう。

 高度経済成長期には、実質生産量の大きな増加があり、その成果は労使の間で分かち合われました。

 新規学卒一括採用や終身雇用、さらに企業別労働組合のもとで、人材育成はそれぞれの企業内で行われ、能力向上と能力評価を一体的に行う仕組みが整備されました。

 こうして決まる賃金は、「年功賃金」と呼ばれていますが、勤続に伴う能力の向上が賃金の増加に反映されるという仕組みがポイントで、職能等級資格制度に基礎があります。この仕組みのおかげで、労働者の能力向上は、しっかりと賃金に反映されてきたのです。

 日本の「春闘」とは、こうした正社員の職能賃金を基本に賃金制度を確立させ、「ベースアップ」と呼ばれる賃金表の書き換えも含めて、「賃上げ」を実現するものでした。

 1991年のバブル崩壊以降は、経済成長率の鈍化に応じた賃金の抑制が、日本企業にとって不可避の課題となりました。

 しかし、経営側の進め方は適切ではなく、また、労働組合側の対応にもミスがあり、利益が出ても賃金は上がらないという、“やり過ぎ”の状態を生み出してしまったのです。

 この時期の経営側の対応は、当時の日経連(日本経営者団体連盟)が公表した「新時代の『日本的経営』」(1995年)によるものでした。

 このレポートでは、「長期蓄積能力活用型」(長期継続雇用という考え方に立って働くグループ)、「高度専門能力活用型」(長期雇用を前提としないが、高度な専門能力を持って働くグループ)、「雇用柔軟型」(働く意識が多様化しているグループ)の3つのグループで労働者を構成し、その「雇用ポートフォリオ」をコントロールすることで総額人件費を管理する手法が提案されました。

 90年代後半以降は、企業は、この仕組みを大いに活用し、正社員の採用を抑制するとともに、「就業形態の多様化」を押し進めていくこととなったのです。

 また、日経連の3つの類型のうち、「高度専門能力活用型」を広げることは日本社会では現実的ではなく、結局、労働者が、正規労働者と非正規労働者に二極分化してしまったことも、あわせて指摘しなくてはなりません。