英語版を読む→

戦国時代の先端技術であった火縄銃による鉄砲隊

 課題解決における現場と本場を行き来することの重要性について前回、お話ししました。もっとも「現場と本場」というのは、何も新しい話ではなく、歴史上の人物の活躍を見ても明らかなことです。

 戦国時代の織田信長を例に挙げましょう。彼は、訓練したタカで野鳥を狩る「鷹狩り」を好んでいました。今でいうゲームの一種として戦国武将に人気だったのですが、信長の目的は他にもあったといわれています。

 信長は鷹狩りの際、タカを追って野山を駆け回ることで、領土の地形をくまなく見ていました。いざ戦争になったときもどこに布陣を置くか、どこに武器を隠しておくかを考えていたようです。

 また戦争となれば前線に立っていました。現場で野営をして指揮を執っていたことからも、生死を懸けた仕事をする「現場」に身を置いていたというわけです。

 さらに、信長は千利休を重用していました。利休というと「茶の湯」という文化的な印象がありますが、実は商家出身で大阪・堺の武器商人だったのです。

 当時、堺といえば町人による自治が行われ、貿易が盛んでした。種子島から火縄銃の技術が堺に入り、鉄砲の大量生産が行われていた。つまり、信長は先端テクノロジーの「本場」である堺を、利休を通じて掌握していたのです。地形を巧みに生かした戦術が得意であったり、騎馬隊を鉄砲隊で破ったりできたのも、こうした背景があったからなのです。