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3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

生島ヒロシが胸の奥にしまった「あの日の慟哭」
最後まで家族を思い、何も求めずに旅立った妹よ
――フリーアナウンサー・生島ヒロシ氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第2回】 2012年2月14日
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 昨年3月の震災直後から、妹が行方不明となったことが新聞やテレビで報じられたのが、フリーアナウンサーの生島ヒロシさん。震災発生当時、生島さんが感じた「喪失感」は、他人には計り知れないものだったに違いない。あれから1年を迎えようとする今、心境はどう変化したのか。生島さんは、忙しい仕事の合間を縫って、インタビューに詳しく答えてくれた。


母が夢枕に立って、火の海が――。
妹の不思議な夢は「正夢」となった

生島ヒロシさん(東京・目黒にて)

 ベテランのアナウンサーであり、遺族でもある生島ヒロシさん(61)を前に気が引けるものがあったが、亡くなった実の妹の喜代美さん(57、姓は亀井)のことを尋ねた。生島さんはオフィスの応接室にあるソファーに座り、向い合う私の左肩の方にある本棚をじっと見つめながら、思い起こすような口調で語る。

 「3月11日の2日前、妹は、自分が見た夢のことを姪っ子(喜代美さんの娘)に話したようです。『2月2日に亡くなった母(生島さんたちの母親・享年85)が夢枕に立っていた。うちの家と隣の家との間は、“火の海”になっていた』と。このことを、妹が津波に襲われ、行方不明になった後に、姪っ子から聞かされた。その夢は、正夢になったのですね……」

 宮城県気仙沼市に住む喜代美さんは、昨年3月の震災発生以降、夫と共に行方がわからなくなった。夫妻は3月11日に、母の四十九日の法要で上京する予定だったという。地震発生直後の午後3時頃、喜代美さんから生島さんの妻に電話が入った。「地震があったから、東京へは行けない」。その後、連絡は途絶えた。

 気仙沼市は津波が押し寄せた後、大規模な火災が発生し、まさに“正夢”となった。生島さんは、低い声でゆっくりと話を続ける。その姿は、テレビやラジオ番組の司会をリズムよく進める、あの姿ではなかった。

 「人はあの世に引っ張られると、見えるものがあるのかな、と考えました。スピリチュアルな考えに影響を受けているわけではないけれど……」

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


3.11の「喪失」~語られなかった悲劇の教訓 吉田典史

東日本大震災からもう1年が経とうとしている。人々の記憶も薄らぎ始めた。しかし、国の復興対策はなかなか進まず、被災者・遺族の心の傷も癒えない。3.11がもたらした「喪失」は、日本人にどんな教訓を投げかけているのか。日本が真の復興を遂げられる日は来るのか。その問いかけをまだ止めることはできない。いや、止めてはいけない。遺族、医師、消防団員、教師、看護士――。ジャーナリストとして震災の「生き証人」たちを取材し続けた筆者が、様々な立場から語られる悲劇の真相を改めて炙り出す。

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