いたるところ無能だらけ

 世間には職業人として無能な人間があふれ返っています。あなたのまわりにもいますよね? このことは、きっとだれもが勘づいていることです。

 毅然とした政治家を装った優柔不断な政治屋とか、誤った報道の原因を「不測の事態」のせいにする「信頼できる情報筋」に心当たりはありませんか? 怠け者で横柄な公務員は数え上げたらキリがありません。勇ましい言葉で兵士を煽あおりながら、自らの臆病な行動によってバケの皮がはがれてしまう軍の司令官もいれば、持って生まれた卑屈さが災いして統治能力のなさを露呈してしまう知事もいます。

 教養があるはずの人たちに目を向けても、不道徳な牧師、わいろで手のひらを返す判事、矛盾した論理を展開する弁護士、文章のおかしい作家、スペルがでたらめな英語教師といった具合で、あきれ返ってしまう例には事欠きません。大学にいるのは、立派な教育理念をうたっているくせに現場での意思の疎通が破綻しているお偉方や、蚊の鳴くような声で意味不明な講義をしては学生に居眠りのひとときを提供する教授ばかりです。

 政界、法曹界、教育界、産業界――すべての階層社会のすべてのレベルで無能な人間ばかりを目の当たりにした私は、きっと人間の配置をつかさどるルールに何らかの問題があるに違いないという仮説を立てるにいたりました。こうして私は、人々がどのように階層社会を昇っていくのか、そして昇進した彼らがその後どうなるのかを解き明かす研究に本腰を入れるようになったのです。

 さっそく私は科学的な資料として、何百という事例を収集しました。ここで典型的なものを三つ紹介することにします。

市役所の無能

 J・S・ミニョンはエクセルシオ市の公共事業部営繕課の現場責任者でした。とにかく愛想のよい彼は、役所の上司たちにはすこぶる評判がよく、直属の上司も「ヤツはいい男だよ。判断にも間違いがない。人あたりも抜群で、なにしろ文句を言わずに話をちゃんと聞くからな」と買っていました。

 こういうミニョンのふるまいは、現場責任者として申し分ないものでした。彼は自分で何かを決めることなどないわけですから、上司と議論する必要もなかったわけです。

 営繕課の主任が定年で退くと、ミニョンが彼の後任の座に就きました。ところが、ミニョンはあいかわらず、だれの話にも相槌を打ち続けました。上から来る指示を一つ残らず部下の現場責任者に伝えるので、当然矛盾が生じてきます。計画の変更に振りまわされて、作業員はやる気を失ってしまいました。市長やほかの管理職からだけでなく、納税者や営繕課職員の労働組合からも苦情が相次ぎました。

 ミニョンはあいかわらず、だれにでも「承知しました」を連発し、上司からの指示を部下に伝え、部下からの報告を上司に伝えるだけです。営繕課主任という肩書きですが、実際の仕事はメッセンジャーにすぎません。そのため営繕課は、予算をすべて使いきっても事業計画を完遂できないでいます。要するに、有能な現場責任者だったミニョンは、無能な営繕課主任になってしまったのです