大阪の知事・市長ダブル選挙で圧勝した橋下徹氏が率いる大阪維新の会が発表した基本政策の中に、「掛け捨ての年金」という構想があり、注目を集めた。現時点で具体像は報道から推測する以外にないが、橋下氏の発言を追うと、一定以上の年齢になって生活するに十分な資産を持っていない人に対して、生活費を補填する「保険」をイメージしているようだ。十分に資産を持っている高齢者にまで年金を払うと、財源が足りないので、資産のない老人を給付対象にするのは「あり」ではないか、という趣旨らしい(筆者の推測だ)。

 年金というと、老後に備えた貯蓄に近いものという印象があるので、「掛け捨て」にはなじまない印象を受けるが、そもそもは長生きの際の生活費不足というリスクに対して集団で備える保険の一種だ。掛け捨てで設計することもできるはずだ。

 一般の生命保険の場合、保険料から保険会社の粗利に相当する部分(付加保険料。通常、大変大きい)を除くと、リスクに対する保障のコストと満期などの返戻金支払いのための貯蓄のコストの両方が含まれるが(合わせて、純保険料)、率直に言って保険会社がベストな運用を提供してくれるわけではないから、貯蓄部分は余計だ。もっとも、保険料を払ったのに将来何も返ってこない保険よりも、一種のご褒美のごとく満期などにお金をもらえる保険のほうが喜ばれる場合が多いようであり、保険会社が悪いとも言えない。

 だが、一般に保険を使う場合には掛け捨てがいい。例えば、死亡保障が必要なら、ネット生保などの安価な保険料で掛け捨てのシンプルな保険を、必要な額と期間だけ買うのが合理的な場合が多い。

 国が提供する公的年金にあって、例えば国民から一定額の保険料を徴収して、高齢(70歳ぐらいだろうか)になっても資産がない人に生活費を補助する給付を行う保険を考えることはできる。早死にした人と、高齢になっても潤沢な資産を持っている人は、給付を受けることができないが、彼らの負担によって、資産が乏しい高齢者が助かる保険的な仕組みだ。