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次世代に引き継ぐ大震災の教訓

なぜ被災者は今も新たな人生設計ができないか
国会議員が語った復興を遠ざける「政権中枢の本心」

加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]
【第6回】 2012年3月7日
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あの日から大きな変化がない
「津波街道」のいま

仙台から青森までの海岸線を走る国道45号線は、数々の津波被災した街を通る「津波街道」だ(2011年11月24日、宮古市田老)
Photo by Yoriko Kato

 三陸の海岸線を走る国道45号線を行くと、数々の津波の被災地が現れる。仙台、多賀城、塩釜、東松島、石巻、気仙沼、陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田町、宮古、野田村、八戸。国道から少し入れば、閖上、七ヶ浜、牡鹿、女川、南三陸などもある。仙台から青森にかけてのこの45号線を、いつしか私は、ひそかに「津波街道」と呼び始めたくらいだ。

 それぞれの町や集落に行くたびに、津波に破壊された景色の中の変化を探してしまう。どこも、すぐに気づくような大きな変化などは、ない。見つかるのは、「あの建物が解体された」「信号が点灯した」「道路が通れるようになった」「バス停が復活している」といった、点のような小さな変化だ。

石巻南浜町。住宅地だった街に、がれきの山脈が連なる。震災廃棄物の量は、同市の一般廃棄物の106年分といわれ、この光景は、震災から1年経った今も全く変わらない(2011年9月11日、石巻市南浜町・門脇町)
Photo by Yoriko Kato

 こうしてヨソ者としての目線を向けながら感じているのは、東日本大震災から1年経った被災地は、日々の衣食住が足りて表面的には落ち着いている、という印象だ。人々はいま、仮設住宅を拠点に、暮らしに適応しようと奮闘している。

 津波災害現場の復旧・復興の進み度合いは、場所によってまだら模様であるとも思う。釜石や気仙沼には、解体できない建物が、いまだに街の中に連なる。がれきの仮置き場が満杯で、壊したくても壊せないのだそうだ。

 被災地の人々がいつも目にせざるを得ない範囲に、進展の見られない光景がたくさんある。がれきの山脈が延々と連なっていたり、生活道路が、砂利で応急的に盛り土しただけのままだったりする景色を、「もう何とも思わなくなってしまった」という人がいる一方で、「見るのも辛い」という人もいる。こういった物理的な処理の遅れが、被災者の心の中に、復興の立ち遅れたイメージを初期段階から定着させてしまう。

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加藤順子 [フォトジャーナリスト、気象予報士]

気象キャスターや番組ディレクターを経て、取材者に。防災、気象、対話、科学コミュニケーションをテーマに様々な形で活動中。「気象サイエンスカフェ」オーガナイザー。最新著書は、ジャーナリストの池上正樹氏との共著『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)。『ふたたび、ここから―東日本大震災・石巻の人たちの50日間』(ポプラ社)でも写真を担当し、執筆協力も行っている。他に、共著で『気象予報士になる!?』(秀和システム)。最新刊は『石巻市立大川小学校「事故検証委員会」を検証する』(ポプラ社)。
ブログ:http://katoyori.blogspot.jp/


次世代に引き継ぐ大震災の教訓

東日本大震災から1年。首都直下型地震をはじめ次なる巨大地震の可能性も示唆され、国民に不安が広がるなか、我々現役世代は何を為すべきか。それは東日本大震災から得た教訓を、次世代へと確実に引き継ぎ、活かすことではないだろうか。そしてその役割はこの1年間、着実に果たされてきたと言えるのか。各分野の専門家へのインタビューと現地取材を交えたレポートで検証する。

「次世代に引き継ぐ大震災の教訓」

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