「生活保護」の転換点に?
厚生労働副大臣と受給者が初の面会
東京都心が満開のソメイヨシノに彩られ、晴天の花見日和となった2018年3月29日の午後、日比谷公園に隣接する厚労省内において、生活保護の歴史において転換点となるかもしれない出来事があった。厚生労働副大臣・高木美智代氏(公明党)が、生活保護で暮らす当事者4名と、副大臣室で面会したのである。
3月5日の参院予算委員会においての、山本太郎議員の質問に対する「生活保護基準の決定権を持つ政務三役(厚生労働大臣、厚生労働副大臣、厚生労働政務官)と当事者が面会し、声を聴く」という安倍首相の約束は、ようやく果たされた。
前回お伝えしたとおり、当事者たちは3月19日にも、安倍首相の約束が果たされるという期待のもと厚労省を訪れた。しかし、面談できたのは社会・援護局長であった。局長は、厚労官僚としては生活保護部門のトップではあるが、保護基準の決定権は持っていない。このため改めて、決定権を持つ副大臣との面会が設定されたのだった。
2018年秋からの生活保護基準引き下げを含む予算案は、前日の3月28日夜に国会で可決されている。とはいえ、生活保護基準の決定権を持つ現職の政務三役に、その生活保護基準を適用される当事者が面会し、自らの生活ぶりを伝えることができた。その意義は、決して小さくないだろう。
元・厚生官僚であり、健康保険の「高額療養費制度」の生みの親でもある(本連載過去記事参照)弁護士の尾藤廣喜氏は、次のように語る。
「高木副大臣は、自分の信念があって政治家になっているはずです。厚労省の方針がどうであれ、実現したい自分の理念があるから、副大臣になっているはずです。私が厚生省にいたのは1970年代の短い期間ですが、大臣や政務次官のご意向で、いくつかの政策施策を実現しました」
ちなみに、「副大臣」「政務官」という役職が設置されたのは1999年のことである。