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職あれば食あり

あの原発事故は1次産業を犠牲にした工業化の象徴か
高度経済成長が「職」と「食」に与えた功罪

――“見えない敵”と闘い続ける漁師×農家対談【後編】

まがぬまみえ
【第31回】 2012年3月22日
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およそ1年前のあの日、東日本の沿岸部を襲った津波は、工業化と近代化の象徴でもあった原子力発電所を呑み込んでいった。奇しくも、大震災と原発事故が起きた昨年は、政府が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加を表明した年でもあった。

少子高齢化と人口減少、それに伴う地方の衰退と財政悪化。農林水産業を取り巻く現状は、高度経済成長期以降、日本が先送りしてきた様々な課題を如実に反映している。1次産業の未来を考えることは、ポスト工業化時代に向けてこの国をどう作り直していくか、というビジョンを描くことに等しい。

漁師と農家の対談前編では、原発事故が生産者の暮らしをどう変えたのか、を率直な言葉で語っていただいた。後編では、工業化時代にあえて生産者として生きる道を選んだ2人の人生を通じ、日本の「食」と「職」の未来を探っていきたい。 

「東京湾埋め立て」に「原発建設」
“工業化”で海から追い出された漁師たち

魚住道郎(うおずみ・みちお)/日本有機農業研究会副理事長。魚住農園。1950年(昭和25年)、山口県生まれ。サラリーマンの家庭に生まれながらも、農家を志したのは1970年のこと。東京農業大学へと進学し、一時は海外での農業指導を夢見たが「農薬と化学肥料、それに見合った品種を海外へ持ち出す近代農業技術では現地の人たちのためにならない」と痛感し、有機農業に取り組むようになった。24歳で妻と共に茨城県石岡市に移り住み、現在は長男を加えた3人で農園を営む。こだわってきたのは、土作り。秋になると、「サポーター」と呼ぶ契約消費者とともに里山に入り、クヌギ、コナラ、カシなどの落ち葉を集め、それを分解・発酵させて腐葉土(腐植)にする。腐葉土の中には多用な微生物が生息しているため、それにより病原菌の発生が抑えられ、野菜が健康に育つ。「食べ物を介した森里海の新たなネットワーク作りが夢」。

魚住 振り返ってみると、日本の近代化は地震国であることを忘れ、どんどんと海へせり出していくことで成り立ってきた。皮肉にも、その延長線上に建てられたのが、今回の事故を起こした原子力発電所でした。このことはある意味、非常に象徴的な出来事ではなかったか、と思っています。

大野 日本の高度経済成長は、裏を返せば、漁師たちを海から駆逐していった歴史でもあったんだ。

 東京湾の埋め立てが大規模化したのは昭和30年代半ば、ちょうど池田内閣の所得倍増論が出てきた頃からです。それまでは、このあたりの港にも冬場になると秋田や新潟、長野あたりからたくさんの人たちがノリの養殖を手伝いに来ていました。

 春から夏にかけては駿河湾の桜エビ漁船に乗り込み、それが終わると船橋のスズキ、さらにはサンマ漁の船に乗る。要するに、“漁労の渡り鳥”です。出稼ぎですからもちろん、収入は不安定。そこで、政府は「もっと安定した職を作らないといけない」と考えるようになりました。そのために何をしたかと言えば、土地造成。このあたりで言えば、東京湾の埋め立てです。

 多くの人は、漁業では食えなくなったから東京湾の漁師が減っていった、と思っているでしょう。けれど、実際はそうじゃない。高度経済成長期でさえ、東京湾ではノリも養殖できたし、アサリも採れた。魚だって、肉眼で見えるくらいたくさんいたんです。

 それを、有無を言わせぬ勢いで埋め立てていったのは、そうすることが社会のニーズに沿うことだと考えられていたから。干潟を埋め立てて新たな「職」を作り出すことこそが、当時の社会正義だったんだ。

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