いちばん神を信じていない人間は誰か?

 なら、われらが羊飼いのアダムはどうだろう? 話を簡単にするために、ここではアダムがラルフの羊を毒殺しなかった、つまりラルフの自作自演だったとしよう。アダムの運命やいかに?

 アダムが教会の煮え立つ大釜の前に立って、慈悲を求めて祈りを捧げるころには、司祭は彼の無実を信じるようになっていただろう。だから司祭はきっと神判を細工したはずだ。

 でもこのデータの被告のうち78人は、実際に火傷を負ったうえ、罰金を科されるか刑務所送りになったことを忘れちゃいけない。こういうケースでは何が起こったのだろう?

 ぼくたちが考えたいちばんありそうな説明は、(1)司祭は78人の被告が罪を犯したと信じていたか、(2)司祭は神判が本当に行われているという体裁を保つ必要があった。そうじゃなきゃ、罪ある人のなかから罪なき人をより分ける効力がなくなってしまう。そのため彼らが犠牲になった、というものだ。

 それに、罪ある人を罰し罪なき人を許す、全知全能の神の存在を被告が信じていなければ、この脅しは効力を失うことを指摘しておきたい。しかし歴史を振り返ると、当時はほとんどの人が全能で正義を重んじる神の存在を信じていたように思われる。

 ここでこの奇妙な物語は世にも奇妙な展開を見せる。

 中世の司祭が本当に神判に細工していたのなら、彼らだけは全能の神の存在を信じていなかったということになる――あるいは神の存在を信じていたとすれば、司祭は神の代理人として、神に代わって正義を追求できると考えていたのだろう。

応募者を減らしたほうがいい人材をつかまえられる

 雑草を自分で引っこ抜く庭をつくる方法さえわかれば、誰だってたまには神さまのまねごとができる。

 たとえばあなたは毎年何百人もの新入社員を採用する会社に勤めているとしよう。人材の流動性が高い業界では、人を採用するための時間とコストはバカにならない。たとえば小売業界だと、従業員が1年以内にやめる割合はだいたい50%、ファストフード店だと100%近いこともある。

 だから雇用する側が応募手続きの簡素化に励むのもうなずける。最近の求職者は、20分もあればオンラインの応募書類を自宅に居ながらにして作成できる。すごいだろう?

 いや、そうとは言い切れない。応募手続きをそんなに簡単にしたら、仕事にほとんど興味がなくて、履歴書の見栄えだけはいいけれど、採用されても長続きしないような人が集まってしまうかもしれない。

 なら、雇用主が応募手続きを簡素化するどころか、無駄に手間がかかるようにしたらどうだろう? たとえば書類を作成するだけで60分や90分もかかるようにして、冷やかし連中を排除したら?

 ぼくたちはこのアイデアを数社に売り込んだが、いいねと乗ってくれた会社はゼロだった。なぜか? 「手続きに時間がかかると、応募者が減ってしまう」と言うのだ。そもそもそれが狙いなのに。遅刻や欠勤が多かったり、数週間でやめてしまうような応募者は、わざわざ手間をかけてまで応募してこないだろう。

 その一方で大学は、応募者をわずらわせることを屁とも思わない。高校生が名の通った大学の最終選考に残ろうと思ったら、とてつもない労力をかけて願書を作成しなくてはならない。求職者は採用されたらお給料をもらえるのに、大学志願者は大学に通わせていただくために喜んで学費を払うことを思うと、大学の出願と求人の応募のちがいは一層はっきりする。

 でもそう考えると、大学の学位がいまもこんなにありがたがられている理由がわかる(アメリカでは四大卒は高卒より稼ぎが75%ほど多い)。雇う側に、学位はどんなシグナルを送るんだろう? 学位をもっている人は、もろもろの長くて退屈でややこしい仕事をやり遂げる意志と能力があるってこと、また入社して何か面倒が起こりそうになってもプイッとやめそうにないってことだ。

(※本原稿は書籍『0ベース思考』からの抜粋です)