中世の残酷な裁判が、実は極めて合理的だった理由

『ヤバい経済学』で世界の話題をかっさらったシカゴ大学の「鬼才」経済学教授スティーヴン・レヴィットとダブナーのコンビによる、柔軟な思考の教科書『0ベース思考』。本書には大量にユニークかつ切れ味鋭い思考の実例が詰まっているが、その中でもヴァン・ヘイレンのデイビッド・リー・ロスがバンドツアーの契約に、「スナックにはm&m'sを含めること(ただし、茶色を入れてはならない)」という条項をなぜか入れていたというエピソードがSNS上で話題となった。本記事では、その続きに当たる部分を特別に公開したい。デイビッド・リー・ロスの例に劣らずユニークな思考の実例が紹介されているので、前回記事とあわせて読んでみてほしい。

口を割らなければ「神さま」に決めてもらえばいい

 たとえばあなたが何かの罪に問われているとしよう。何かをかすめとったとか、誰かをボコボコにしたとか、飲酒運転をして公園に突っ込んでそこら中の人をひき殺したなどと警察に疑われている。

 でもはっきりした証拠はない。あなたの裁判の担当判事は、何が起こったのかをつきとめようと手を尽くしたが、どうしても確信がもてない。そこで判事は奇抜な方法を思いついた。あなたは煮えたぎった大釜に腕を突っ込み、火傷しなければ無罪放免、火傷を負ったら有罪判決をくらって刑務所行きになる。

 これは中世のヨーロッパで実際に何百年も行われていた方法だ。被告が有罪かどうかを裁判所が納得できるかたちで判断できない場合、訴訟はカトリックの司祭のところにもち込まれ、司祭が煮えたぎった湯や湯気が立つほど熱した鉄棒を使って、「神明裁判」(神判)を執り行った。要するに、神は真実を知っておられるから、奇蹟を起こして濡れ衣を着せられた容疑者を救ってくださるというわけだ。

 有罪を立証する手段として、中世の神判をどう思う?

1.野蛮だ。
2.バカげてる。
3.意外にも効果がある。

 答える前に、ここにはどんなインセンティブ(人を行動に駆り立てる動機や要因)がはたらいているのか考えてみよう。

 千年ほど昔に北イングランドに暮らしていた羊飼いを想像してほしい。仮にアダムと呼ぼう。アダムの隣には別の羊飼いラルフが住んでいる。二人は犬猿の仲だ。

 アダムはラルフが自分の羊を2頭盗んだんじゃないかと疑っている。そのうえラルフには、アダムが羊毛の袋に石を入れて市場で重さをごまかしているなんて噂を立てられた。二人は共同の牧草地の利用権をめぐっていさかいが絶えなかった。

 ある朝ラルフが目覚めると、羊が全部死んでいた。どうやら毒にあたったようだ。彼はすぐさまアダムを訴えた。たしかにアダムには、ラルフの羊を殺す動機があった。ラルフが売りに出す羊毛が減れば、その分アダムの羊毛が高く売れる。でも当然、ほかの可能性も考えられる。羊は病気や天然の毒で死んだのかもしれないし、ほかの商売敵に毒を盛らに、自分の羊を毒殺したってこともあり得る。

 証拠が集められて法廷に提出されるが、どれも決め手に欠ける。ラルフは事件前夜にアダムが羊の近くに潜んでいるのを目撃したと言い張るが、仲間内でのラルフの評判が悪いことから、ひょっとするとラルフは噓をついているんじゃないかと、判事は疑っている。

 あなたが判事だとして、アダムが有罪かどうかをどうやって判断する? それに、この訴訟だけじゃなく、ほかにも50人のアダムたちがそれぞれ裁判にかけられているとしよう。どの事例にも有罪を立証できる十分な証拠はないけれど、犯罪者を野放しにしたくはない。罪ある人と罪なき人をより分けるにはどうしたらいい?

 庭に雑草を引っこ抜かせるのだ。