パナソニック、ソニー、シャープ、の赤字家電3社が、相次いで社長交代を発表した。筆者はこの交代劇を見て「東芝の悲劇」と言う本を思い出した。三鬼陽之助という雑誌記者が1966年に書いたカッパブックスの一冊である。東芝はそれまで経営能力のない経営者が長期間社長として君臨し、業績をどんどん悪化させていった。同社はそこで外部者を社長に迎えることを選択する。白羽の矢を立てたのは、IHIの再建に大鉈を振るった土光敏夫社長だった。

 東芝の社員は緊張して新社長のリーダーシップに従い、早期に業績を好転させた。土光氏の私生活は極めて質素で、会社にはバス・電車を乗り継いで出勤したという。風貌は仁王像のようで周りを圧倒するカリスマ性があった。土光氏はその後、経団連の会長になり、日本の財界を代表する人物となった。中曽根政権下では臨調の会長になり、日本国有鉄道(現JR)の民営化に大ナタを振るった。

 筆者がもうひとつ思い出す社長交代劇は、日産自動車である。80年代、90年代とヒット車種を出せずに、国内シェアはトヨタに差を広げられ、3位のホンダにも追いつかれる状況となった。ヒット車種を出せない原因は、社内の生産部門の発言力が強く、消費者に受け入れられない製品を次々に出していったことにあった。その結果、赤字決算が続き財務状況もじりじりと悪化し、98年時点で2兆円の借金を抱えるまでになった。

 99年にフランスの自動車メーカーであるルノーと資本提携し、その支援を仰ぐことになった。同年に社長であった塙義一社長は解任され、当時ルノー本社の副社長であったカルロス・ゴーン氏が社長として送り込まれた。その後、同氏は様々な経営刷新を行い2003年には2兆円の借金を完済した。