ある日、少し前に定年退職を迎えて時間を持て余していた男性の自宅に、銀行の支店長が訪ねてきた。
「何のご用でしょうか」
「こんにちは。お顔を拝見したくて伺いました」
この男性は久々の来客に心を躍らせ、早速支店長を応接室に上げた。2人の会話はやがて、男性がかつて勤めた会社の話になり、海外プロジェクト成功などの武勇伝を男性が誇らしげに語った。
「いやあ、すごいですね」と、にこやかに相づちを打つ支店長。1時間ほど話し込んだところで、「今日はこれで失礼致します」と何事もなく帰っていった。
それから数日後、再びあの支店長が不意に男性の自宅を訪れた。今度は営業担当とおぼしき若い部下を同行している。
「先日のお話がすごく面白くて、ぜひ部下にも聞かせたいと思い、また伺いました」
男性は快く2人を応接室に通した。軽く世間話をした後、おもむろに支店長が話を切り出す。
「そういえば、当行の預金口座に退職金が振り込まれていますが、運用などはお考えですか」
男性は腕を組み、少し思考を巡らせた後、「特に今のところは何も考えてないですね」と返答。そのタイミングを見計らっていたのか、部下がさっと1冊のパンフレットをテーブルの上に置いた。
「実は当行には退職金運用プランというものがあります。定期預金だけでも1.5%、投資信託という商品と一緒なら5%もの金利が上乗せされます」
定期預金でも、低いものは0.01%の金利で利息による収入がほぼ見込めないこの時代、男性の目にはこのプランが金の卵を産むニワトリに見えた。「良い商品だ。ぜひお願いしたい」。偉い立場の支店長がわざわざ来てくれたという優越感もあり、即決した。
「分かりました。では詳しい説明はこの部下がさせていただきます。私はこれで失礼致します」
支店長はそう言い残し、部下にバトンタッチ。満足そうな笑みを浮かべながら帰った──。
ここで紹介したのは、「実はある支店長が独自に作った、定年退職者向けの秘密のマニュアルです」。
そう打ち明けるのは、今年9月に『退職金バカ』という本を著し、日本人の退職金運用に疑問を呈するセゾン投信の中野晴啓社長だ。