超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

電気自動車界のジョブズと<br />リチウム電池の天才開発者は、<br />変人同士だからこそウマが合う

第4章 EVと革命児(4)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は、謎の投資家・城隆一郎の依頼で話題のEVベンチャー「ミラクルモーターズ」を調査することになる。同社トップである黒崎浩は、有馬の取材に対して「ミラクルモーターズを世界一の自動車メーカーに育て上げる」と豪語する。黒崎の気宇壮大さに圧倒される有馬だったが──。

 ***

 迷いのない言葉が質素な社長室に響き渡る。有馬は言う。

「世界一へぐんと押し上げる新時代の爆発的エネルギーがリチウム・オキシジェン電池、というわけですね」

「うまいことを言うじゃないか」

 黒崎は右手を掲げ、ぐっと握り締める。

「おれはこの手で世界の自動車業界の主導権を握り、地に堕ちた日本経済をV字復活させてやる。欧米の自動車メーカーを蹴散らし、アメリカファーストの傲慢な米国大統領に頭を下げさせ、日本人の植民地根性を払拭してみせる」

 握り締めた拳を大理石のテーブルに落とす。ゴツン、と鈍い音が響く。

「人類が直面する地球温暖化も同様だ。きみは大気汚染による世界の死者の数を知っているか?」

 あせった。世界保健機関が扱うような深刻な環境問題を突然、俗な元社会部記者に振ってもらっても困るわけで。

「大気汚染国家の両巨頭、中国、インドで年間それぞれ100万人超。ロシア、アメリカ、ブラジル、インドネシア、パキスタンでも数十万人が犠牲になっている。全世界だと年間1000万人に迫るだろう」

 怖いですね、としか言いようがない。

「おれはEVの牽引車となり、地球全体に澄んだ真っ青な空と美味い新鮮な空気を取り戻してやる。地球温暖化を阻止してみせる。これはホラなんかじゃないぞ」

 有馬は肩をすくめ、まさに黒崎さんは、と語気を強める。

「日本のイーロン・マスクだ」

 2呼吸分の沈黙の後、なんだとぉ、と低い声が返る。怒気のこもった目と筋張ったほお。眉間に刻んだ3本の筋。黒崎は背を丸め、テーブルにぐっと身を乗り出す。一瞬にして雰囲気が変わった。ラグビー仕込みのタックルを食らわしそうなド迫力だ。どこかで地雷を踏んだか? 有馬はとまどい、言葉を重ねる。

「ほら、イーロン・マスクもロケットによる宇宙輸送とか、地上を時速1200キロで突っ走る旅客輸送システムといった大ボラを──失礼、気宇壮大な構想をぶち上げていますよね。黒崎さんもまったく負けていないかと」

「ちがうだろう」

 声が1オクターブ、高くなる。

「おれはイーロン・マスクなんかじゃないぞ。あんな儲け話しか頭にない色ボケの大風呂敷野郎と一緒にするなっ」

 唇が震え、こめかみに太ミミズのような青筋が浮く。相当怒っている。有馬は、なるほど、と冷静に問い返す。

「じゃあだれですか? さすがにナポレオンは古いですよ」

 ジョークも大概にしろよ、とプロ経営者はひとさし指を立てる。

「おれにたとえるならただひとり。スティーブ・ジョブズだよ」

 ずいぶんと大きく出ましたね、と軽口のひとつも叩きたいところだが、黙って耳をかたむける。

「アートとテクノロジーを融合させた真のスーパーイノベーター。われわれが住む世界を一変させてしまった本物の革命家。見てろよ、おれは必ず自動車業界のスティーブ・ジョブズになってやるから」

「でもあなたは自動車の専門家じゃありませんよ」

 取材者として一応、つっこみを入れる。

「いろんな業界を渡り歩いたプロ経営者だ。しかし、自動車については、ズブのド素人です」

 なんだとぉ、とうなり、口角泡を飛ばす勢いでまくしたてる。

「じゃあ訊くが、ジョブズはコンピュータの専門教育を受けたかい? 答えはノーだ。それでもジョブズは抜群の創造力と統率力で画期的な商品を生み出し、世界中を魅了した。おれも同じだ。リチウム・オキシジェン電池を搭載した新時代のEVで世界中を虜にしてやる」

 血走った目が吊り上がり、唇がゆがむ。

「おれもジョブズと同じく、はるか1000マイル先の水平線が見えている。あとは大海原を突っ走るだけだ」

 なるほど、と有馬は大きくうなずく。

「すべてあのひとのおかげですね」

 黒崎の表情が変わった。目から激したものが消え、代わりに探るような色が浮かぶ。なんだ? 有馬は困惑しつつ、さらに言う。

「ほら、あの天才ですよ」

 反応なし。ただ、取材者の胸の内を射抜くように見つめてくる。有馬は言葉を重ねる。

「『シーザー』から移籍した自称〈孤独な天才〉江田慎之介・研究本部長」

 ふっ、と息を吐き、黒崎は表情を緩める。なんだ? なにかおかしくないか? ざらっとした違和感が生じる。が、それも一瞬だった。黒崎は顔を紅潮させ、はずむように語る。

「江田はいっさい表に出ないからねえ。目立つことを非常に嫌うんだ。マスコミ業界広しといえど、江田の人となりは自動車・電機業界担当記者くらいしか知らないだろう。社会部出身の、しかもフリーの身でよく調べたねえ。感心感心」

 むっとしながらも、有馬は穏やかに返す。

「いちおう、プロですから」

 取材で得た情報を整理して付言する。

「天才技術者、江田慎之介なしにはリチウム・オキシジェン電池の実用化もなかった、と解釈してよろしいですね」

「よろしいよ」あっさり認める。

「支度金に報酬。それに最高の研究環境。彼にはけっこうなカネをつぎ込んだからね。費用対効果としては上々じゃないの」

「変人の江田さんをコントロールできる人間は黒崎さん以外、いないとの評価もあります」

「お褒めにあずかり光栄だが、変人同士ウマが合ったってことだよ」

「江田さんの存在も宣伝効果として抜群なのではありませんか」

 もちろん、と間髪入れず答える。

「投資する連中は徹底して調べるからね。きみみたいに」

 どきりとした。もしかして雇い主のことに気づいているのか? 凄腕の投資家、城隆一郎に。が、杞憂だった。黒崎は立て板に水で語る。

「まあ、投資家連中の判断の決め手になるのは、揺るぎない事実および無限の可能性だよ。江田は世界屈指のリチウム電池の研究・開発者だからね。デモカーが登場し、従来の2倍の走行距離を叩き出した以上、まともな投資家ならリチウム・オキシジェン電池の量産化も時間の問題だと思うさ。実際そうだもの」

 有馬は質問を繰り出す。

「主流の硫化物系ではない、酸化物系の全固体電池、リチウム・オキシジェン電池の開発に成功したカギはなんです。画期的な新技術と聞いておりますが」

 大胆な質問だねえ、と黒崎は快活に笑い、語る。

「世の常識にとらわれない江田だからこそ、酸化物系に目をつけ、成功に結びつけたんだよ。逆張りの発想。天才の天才たる所以だね。その技術のキモはもちろんトップシークレットだけど」

 軽く片目を瞑る。

「きみの敢闘精神に敬意を表して、特別にサワリだけ教えてあげよう。本邦初公開だぞ」

 仰々しく前置きして言う。

「セラミック技術を応用して見つけた特殊な物質があってね。それを固体電解質に混ぜることで熱効率の悪さを克服したんだ。その詳細は残念ながら殺されても言えないけど。あしからず」

 余裕綽々だ。ならばこれはどうだ。

「水面下での交渉が始まったとされるヨーロッパの自動車メーカーとの資本提携──」

 ダメダメ、と黒崎は一転、顔をしかめ、指を振る。

「それはダメだ」

 怖いくらい真剣な表情で釘を刺す。

(続く)