超金融緩和がもたらすカネ余りを背景に、巨額の投資マネーが怪しげな企業に流れ込む。フェイクで強欲な奴らがバブル再来を謳歌する一方、貧困層は増大し、経済格差は広がるばかり。そのうえ忖度独裁国家と化したこの国では、大企業や権力者の不正にも捜査のメスが入らない──。
そんな日本のゆがんだ現状に鉄槌を下す、痛快経済エンターテインメント小説が誕生! その名も『特捜投資家』。特別にその本文の一部を公開します!

有力ベンチャー社長が示した<br />転職の条件は、<br />年収2000万で交際費は青天井

第4章 EVと革命児(5)

前回まで]フリージャーナリストの有馬浩介は、謎の投資家・城隆一郎の依頼で話題のEVベンチャー「ミラクルモーターズ」の調査を開始した。同社社長の黒崎浩は有馬の取材依頼を快く引き受けEV革命への情熱を熱く語った。感銘を受けた有馬に、黒崎は独自開発した革新的リチウム電池の有効性を述べるのだが──。

 ***

「非常にデリケートな問題でね。おかしな情報が漏れてぶち壊れたら一巻の終わりだ」

 立ち上がり、ドアに向かう。取材打ち切りか? 今度こそ本物の地雷を踏んでしまったのか? 違った。黒崎はドアを開け、そっと外の様子をうかがい、閉める。

「用心には用心を重ねないとね」

 ソファに座り直す。

「内外の自動車メーカーが入り乱れ、生き残りをかけて仁義なき競争を繰り広げているんだ。どのようなアクシデントが起こってもおかしくない」

 沈痛な面持ちで語る。

「おれの拉致だってあり得る」

 そんな大げさな。が、黒崎は真顔で言う。

「巨万の富が見込めるビジネスの最前線はなんでもありだ。一種の戦争、殺し合いだよ」

 両手を組み合わせ、あくまで仮定の話だけど、と前置きして語る。

「無事、資本提携がなったとしても、相手は世界各地に生産拠点を持つ、巨大グローバル企業だ。あの手この手で主導権を握ろうとするだろう。ぼやぼやしてたらあっというまにわが『ミラクルモーターズ』は子会社、哀れ植民地だよ。虎の子の技術を根こそぎ吸い取られてお払い箱だ」

 毒でもあおったように顔をしかめる。

「投資マネー1000億程度じゃまったく足りない。海外の、飢えたサメみたいな連中の波状攻撃をはね返す、強靭な土台を築くためにも、まだまだ集める必要がある。最低2000億円、できれば3000億は欲しいところだ」

 一介のフリー、吹けば飛ぶような個人事業主はただただ、スケールの大きさに息を呑むだけだ。

「しかし、すごいね。本物の社会部記者ってのはやるもんだ」

 信じられない、とばかりに首を振る。

「まさか資本提携の話まで探り当ててくるとはね」

「じゃあ、資本提携話の代わりに、江田さんに会わせてくれませんか。バーターってことで」

 黒崎は苦笑し、それは無理だなあ、と放り投げるように返す。

「世間にアピールする意味でも取材を受けて欲しいんだが、あいつは極めつきのエゴイストだからね。“技術者は開発した商品がすべて。ノーベル賞を受賞したあかつきにはいくらでも取材を受けてやるからそれまで待て”とうそぶいて終わり。処置なしだ」

 面白い。ますます会いたくなる。黒崎は愚痴る。

「取材の件は雇用契約の枠外だから無理強いもできないが」

 ふう、とため息を吐き、肩を落とす。若く見えるが、もう54歳。蓄積した疲労は隠せない。

「そういうことであれば仕方ないですね」

 有馬はあっさり矛をおさめ、取材手帳をしまう。午前7時50分。あと10分で始業。ベンチャー企業の朝は早い。そして取材は引き際が肝心だ。いとまを告げ、腰を浮かす。

 有馬さん、と黒崎が神妙な表情で呼び止める。

「ひとつご相談があるんだが」

 人が変わったような真摯な口調にとまどい、有馬は座り直す。

「うちの仕事を手伝う気はないかな」

 はあ? おれがベンチャー企業の仕事を? わけがわからない。

「わたしは取材して書くこと以外、なにもできません。そもそもドがつくほどの文系ですし」

 それでいいんだよ、と黒崎は微笑む。

「うちは勢いのあるベンチャーの常で、広報部門が極端に弱い。実質、おれひとりで広報業務を担っているようなものだ」

「スター経営者ですから」

 買いかぶりすぎだよ、とまんざらでもない様子で返し、表情を引き締める。

「おれひとりじゃ物理的に無理なんだ。会社は右肩上がりでどんどん大きくなる。注目度も増す。比例しておれの仕事も急増だ。プロの専任広報を置かないとじきにパンクする。きみのようなたくましい元新聞記者に来てもらうと、非常に助かる。動ぜず、臆せず、言いたいことを言い、書きたいことを書く。理想的な社会部記者だ。なかなかできることじゃないよ」

 褒めてもなんにも出ませんけど、と言いたくなる。有馬さん、率直に訊くが、と黒崎が身を乗り出してくる。じりっと熱が迫る。

「広報活動をこなして、ニュースリリースを週一本書いて、これでどう?」

 指2本を掲げる。

「月、20万ですか?」

「おいおい、年収だよ」

 じゃあ、200万? 黒崎は真剣な表情で続ける。

「読日の記者より多いと思うけど」

 一瞬頭が空白になり、次いで眩い黄金の熱がどっと押し寄せ、うっそお、と素っ頓狂な声が出そうになった。2本の指が勝利のVサインに見える。ごくり、とのどを鳴らして確認する。

「2000万円、ですか」

 少ない? と黒崎は首をかしげる。

「交際費は別途無制限、つまり青天井で支払うけどね」

 マジかよ。予想もしない急展開に有馬が固まっていると、黒崎は困惑の表情で言う。

「やっぱ少ないかなあ」

 とーんでもない、と有馬はあわてて両手を振る。2000万、かあ。しかも別途、天井知らずの交際費あり。さすがにのどがカラカラだ。缶コーヒーを飲む。甘いカフェオレがたまらなく美味い。のどを鳴らして干し、気持ちを落ち着かせて返す。

「条件はともかく、転職はそんなに簡単には決められません」

 きびしい口調で告げながら、ゆるんでしまうほおを片手で揉む。2000万円。読日新聞だと局長クラスか。いや、いまはそんなに出ないはず。よくて1500万。ならば役員クラスか。

「そうだね。人生のターニングポイントだ。よく考えてみてください」

 黒崎は勢いよく立ち上がる。有馬も腰を上げる。

「だが有馬さん、これは運命だよ」

 両手を差し出してくる。

「あなたと出逢えてよかった」

 いや、そんな。さあ、有馬さん、と貧者を救う聖者のように黒崎は両腕を伸ばす。

「ぜひ、一緒に世界を動かしましょう」

 背筋がじんとしびれる。気がつけば黒崎の両手をがっちり握り返していた。感極まる寸前、有馬は固い握手を解き、辞去を告げた。危ない。安売りしては後々までなめられる。なんとか平静を装い、『ミラクルモーターズ』を後にした。

 道玄坂を下る足がやけに軽い。雲の上を歩いているようだった。35歳で年収2000万円、か。しかも世界と真っ向勝負するスーパーベンチャー『ミラクルモーターズ』のトップじきじきの誘いだ。気持ちがどうしようもなく昂揚する。

 いったん西荻窪のアパートに戻り、報告書を仕上げ、城隆一郎のマンションに向かう途中、表参道のイタリアンレストランでランチ。エスプレッソが付いて2000円なり。いつもは牛丼か立ち食いソバだから大した出世だ。かぐわしいエスプレッソをゆっくりと味わい、根っから俗物の己を痛感する。おれの人生、こんなもん。

(第4章終わり、第5章に続く)