週刊ダイヤモンド2018年11月10日号は「変われぬ東芝 変わる日立」です。本誌では、両社の創業期まで遡り、どのような浮き沈みの末に現在の差に結びついたのかを明らかにしています。週刊ダイヤモンド編集部では、歴代の担当記者が両社の経営戦略や業績を取材してきました。そこで、今週の特集に合わせて、両社において「中年期」と位置付けられる2000年代中頃以降に社長に君臨したトップのインタビューをシリーズでお届けします。第5回は週刊ダイヤモンド2009年6月27日号「企業特集 日立製作所」で掲載した川村隆氏のインタビューです。同氏はリーマンショックで7873億円の最終赤字に陥った後、2009年から2010年に社長・会長に就任、改革を断行しました。この改革が今の日立の躍進につながったと言われています。(肩書き、経歴、年齢は全て掲載当時のもの)

世界のインフラ需要を
取り込んでいく

日立復活の基礎を築いた川村隆社長、2009年の決意川村隆・日立製作所会長兼社長 Photo by Kazutoshi Sumitomo

 2009年の世界的な実需の縮小に合わせ、身を縮めるべき事業がいくつもある。そうしたつらい仕事は、09年度に全部やりたい。

 具体的には、自動車関連、デジタル家電、機能性材料が中心だ。ハードディスク駆動装置事業は製品として強くなってきてはいるが、フラッシュメモリとの(容量・コスト)競争をよく見極めないといけない。世界2位に上がる努力をしながら、次の手も考える。

 一方で、成長分野をいかに伸ばすか。主力に据える「社会イノベーション事業」とは、従来的な社会インフラと、情報ITシステムとの融合製品の両方を指している。ある時期、発展途上国でしか残らないと思っていたインフラ需要が、世界的に復活しているからだ。

 たとえば鉄道は、衰退して40年たつ英国で受注できた。米国でも本格的に始動する。鉄道車両だけでなく周辺の列車制御、踏切信号、切符販売などのシステムをセットで売れる。地味だが、09年度、10年度にきちんと取り組めば、10年以上は十分な収益を生める。インフラ会社として、先進国でも根づいてきたのがうれしい。