すでに政党の意味は薄れている
合理性のない「小沢政局」の顛末
政治の世界で起きることは、ときに理解ができないことがある。それはおそらく、実際にそこで起きていることが、合理性などのロジックに基づいたものではないからかもしれない。
政治の舞台で活躍する人たちは、ときに国民のためよりも、強烈な権力欲に駆られて行動することがあるという。権力欲も1つのロジックかもしれないが、有力な政治家の考え方を理解できる人は、きっと一握りの政治専門家と言われる人たちだけだろう。だから、いつまでも政治は、我々にとって別の世界になっている。
6月26日、社会保障・税一体改革関連法案が、民主、自民、公明3党などの賛成多数で衆議員を通過した。その際民主党は、「消費税増税反対」を唱える小沢グループをはじめ、57人が反対、15人が欠席・棄権するという大量造反者を出した。足もとでは、小沢一郎元代表らが離党すると発表、新党結成の見通しも報じられている。
今回の“小沢政局”を見て最初に感じたことは、政党の意味がかなり低下していることだ。わが国の政治体制は、各政党を基盤とした議院内閣制と理解されている。その仕組みでは、国民からより多くの負託を受けた議員を要する政党の党首が総理大臣となり、内閣を組織することになっている。
現在のわが国の選挙制度の中に、比例代表制という仕組みがある。それは、各政党が得た得票に応じて、当該政党が示した順番で当選者が決定されるシステムだ。
そこで前提とされる政党は、少なくも重要な点で、同一の意見を持つ人たちの集まりであることが想定されているはずである。ところが、今回の“小沢政局”では、かなり多くの党員が他の党員と大きく異なった意見を持っていた。
こう考えると、政党とはいったい何なのだろう。少なくとも、サッカーや野球の試合のように結束したチームではなさそうだ。何故なら、民主党の内部には、他にも違った見解を持つ人たちがいるようだからだ。