東日本大震災から1年5ヵ月が過ぎた。大津波によって、児童と教職員84人が犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校。児童の遺族の一部は、いまもなお、学校管理下で起きた事故の真相を探り続けている。今年6月から始まった当連載では、真相解明の実情や、市教委の対応と二転三転する回答ぶりと、遺族の不信感、文科省の認識などについて紹介してきた。第7回となる今回は、第4回でも取り上げた、事故調査のメモを廃棄した問題の当事者である、元指導主事から直接話を聞いた。
調査方法も記録の仕方もバラバラ
真相究明を混乱させた「聞き取り調査」の実態
(2012年8月10日、石巻市役所)
Photo by Yoriko Kato
石巻市立大川小学校の津波被害の取材を続けていて、児童遺族の中から一番多く聞かれるのは、やはり「真実を知りたい」という言葉だ。
あの日、あのとき、子どもたちは学校管理下にあったにもかかわらず、なぜ避難に失敗して津波に遭ってしまったのか。1年5ヵ月がたった今も、真相は解明されていない。
当時の状況を知るための手がかりとなるのが、市教委にいた加藤茂実指導主事(現 大原小学校校長)がまとめた記録<「3.11震災」に関する事情聴取の記録>だ。震災から2ヵ月後の昨年5月に、生存者を含む児童・教職員から聞き取ったものだ。
しかしこの証言記録は、信頼のおける方法で作成されたものではなかった。
開示された調査記録の文書には、不思議なことに、調査方法がどこにも記載されていない。子どもたちと、どんな空間で、何人で、どれくらいの時間向き合い、どのように調査をしたのかが、記録文書からではわからないのだ。
現在の指導主事に聞いたところでは、1件当たりにかけた聞き取り時間は30分前後で、市教委と学校の教諭が2、3日にわたって手分けをしたという。簡単な項目が用意されているが、記述のトーンもボリュームも記録者によってばらばらで、調査の方向性に沿った手法がきちんと共有されていない印象だ。
なかには、低学年の子どもと、遊びながらそれとなく聞き取っただけのものもあり、聞き取りの担当者の記憶を頼りに、後からメモに書きつけたという話だ。
このようなやり方で行われた調査は、当然ながら、真実を検証するにあたって、混乱を招く結果となった。実際に、矛盾点や不備を遺族側から指摘され、市教委は対応を二転三転させる事態に陥っている。
私たちは、この調査や、唯一生存したA教諭の聞き取りの報告書作成等を担当した、加藤元指導主事に直接話を聞いた。