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第2次リストラ時代(!?)に贈る 私が「負け組社員」になった理由

“親子の確執”に介入し、左遷へ・・・。非情なワンマン社長の逆鱗に触れた「余計な一言」

――社長候補から一転、転籍させられた高見沢氏のケース

吉田典史 [ジャーナリスト]
【第17回】 2009年4月6日
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 「創業経営者だから何もいえない」「息子が役員をしているが、何の権限も与えられていない」――これらは同族経営の会社で、時おり耳にする噂である。オーナー企業においては、社長の権限は絶大だ。時にはその権限をめぐって、身内でいさかいが起こることもある。とくに親子の確執は、根が深いものがある。

 あなたが、こうした問題を抱える同族経営の会社に勤務し、親子の確執に巻き込まれそうになったら、どうするか――。その時は、「見ざる、言わざる、聞かざる」の態度を貫くべきだ。

 今回は、創業社長に認められて出世した役員が、親子の確執に介入したばかりに、一気に転落していく様子を紹介する。

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■今回の主人公
高見沢 昌男(仮名、43歳男性)
勤務先: 都内西部、神奈川県下で20店舗ほどを展開する中堅スーパー(従業員数330人)に勤務。創業経営者である社長に目を掛けられ、若くして役員になる。しかし、しだいに社長の強引な言動に反発を感じるようになり、軽率な発言をしてしまう。そのことで、問題がおきる。
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(※この記事は、取材した情報をプライバシー保護の観点から、一部デフォルメしています)

社長からの非情な「辞令」

 JR中央線中野駅の改札口を出たところで、高見沢はため息をついた。そして数時間前、社長からいわれたことを思い起こした。

 「君は、来月から関連会社に移ってもらうよ。一応、転籍という形になるが、……心配はいらないだろう」

 社長(69歳)は、大きな椅子に深々と座り、話し続けた。高見沢は、社長室の入り口付近で直立不動になったまま、辞令を聞いた。

 「君には、あそこで伸び伸びとやってもらいたい」

 「……」

 転籍は、本人の同意が必要である。だが、社長を前にすると何もいえない。高見沢は、感じ取った。やはり社長は、自分が副社長と親しくしていたことに怒りを感じたのだろう、と。

 副社長は、社長の実の息子(39歳)である。しかし、2人の間には、長年にわたる“確執”があった。

 社長の声が響いた。今度は、低く、太い声だ。

 「君は、関連会社に行ってくれるな。これで、いいな?」

 押しつぶされるような雰囲気が室内に漂う。社長は、腕を組んで天井を見上げている。 高見沢は、一言だけ口にした。

 「……ええ……」

 社長は、手を軽く1回ふった。“もう出て行け”という意味のジェスチャーだ。高見沢は、空しくなった。深々と会釈をして、社長室をあとにした。廊下を歩くと、中途採用試験で入った15年ほど前のことを思い起こした。あのころは、この廊下を意気揚揚と歩いていた――。

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吉田典史 [ジャーナリスト]

1967年、岐阜県大垣市生まれ。2006 年からフリー。主に人事・労務分野で取材・執筆・編集を続ける。著書に『あの日、負け組社員になった・・・』『震災死 生き証人たちの真実の告白』(共にダイヤモンド社)や、『封印された震災死』(世界文化社)など。ウェブサイトでは、ダイヤモンド社や日経BP社、プレジデント社、小学館などで執筆。


第2次リストラ時代(!?)に贈る 私が「負け組社員」になった理由

会社から冷遇され、気がつくと「負け組」となってしまった人たちを毎回取材。彼らの実体験を振り返ることで、企業の冷酷さだけでなく、自己防衛できなかった敗因を分析。第2次リストラ時代で生き残る術を探る。

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