時代や環境変化の荒波を乗り越え、永続する強い会社を築くためには、どうすればいいのか? 会社を良くするのも、ダメにするのも、それは経営トップのあり方にかかっている――。
前著『戦略参謀の仕事』で経営トップへの登竜門として参謀役になることを説いた事業再生請負人が、初めて経営トップに向けて書いた骨太の経営論『経営トップの仕事』がダイヤモンド社から発売。日本経済新聞の書評欄(3月27日付)でも紹介され大反響! 本連載では、同書の中から抜粋して、そのエッセンスをわかりやすくお届けします。好評連載のバックナンバーはこちらからどうぞ。

日本のトップと欧米のトップでは、<br />なぜ、コンプライアンスの解釈が<br />180度異なるのか?Photo: Adobe Stock

コンプライアンスの解釈が、
事業運営の手かせ足かせになる

 実は、法務部の扱いやコンプライアンスの解釈も日本企業と米国企業では、大きく異なります。

 そもそもですが、このコンプライアンスが唱えられる発端になったのは、米国で起きた2001年のエンロン事件、2002年のワールドコム事件です。

 もともと米国の上場企業のトップには、リターンの最大化を求める大株主たちの意志のもと、多額のストックオプションや高額報酬などの形で株価に反映される事業価値の向上、業績向上への強い「圧」がかかります。

 この「馬ニンジン」のしくみゆえ、それこそ手段を択(えら)ばず、内部的には不正ラインぎりぎりのお化粧を施してでも、PL、BSなどの財務データをつくり上げようとする経営者も少なからず現れました。

 そこにこのエンロン事件における、不正経理、不正取引の問題が明るみに出て、倫理面から「自分たちで制定し、自分たち自身を律する」縛りが必要であると、内部統制の枠組みを明示したSOX法(企業改革法)が2002年に米国で制定されたのです。

 米国で行われていることという謳い文句が大好きな日本でもJ-SOX法が制定され、コンプライアンスの名のもとに、各企業が社内の倫理規定をまとめていきました。

 ところが日本では、このコンプライアンスで定めた内容が、「内部告発があっても大丈夫なように」と、「べき論」の精神に則り、より厳格な側に振られて独り歩きが始まりました。結果的に、事業運営における意思決定の自由度を奪い、国際的に企業の競争力を損なう事態となっていきました。

 あるアパレルの大手企業では、中興の祖として知られる社長のもとでコンプライアンスに取り組みました。他社に倣ってコンサルタントに多額の費用を払い、経営企画室と人事部を中心にしてプロジェクトを結成。様々な検討を重ね、社内のコンプライアンスコードを定めました。

 そして社内には、「経営の意志として、これから我が社は、このコンプライアンスコードを遵守する企業になります」と宣言を行いました。

 ところが事業展開にあたり、自社が定めたコンプライアンスコードが障害になることに、最初に気が付いたのが社長でした。

「なんで多大な金と時間をかけて、何を検討してもやめておきましょうという結論になる、こんなアホなものを作ったんや!」

 と激怒し、それを聞いたプロジェクトメンバーたちは「自分たちはいったい、何をやってきたのだろう」と落胆したという話がありました。