自動車メーカーとしては後発
バッテリーメーカーとしての技術力生かす

 BYDジャパンのホームページによると、BYDは1995年にバッテリーメーカーとして創業。2003年1月に中国国営の自動車メーカーを買収して自動車事業に参入した。

 05年7月にはBYDジャパンを設立してバッテリー事業などを日本で展開するようになる。

 筆者がBYDの自動車事業を中国で詳しく取材するようになったのは、2000年代後半からだ。

 その当時について振り返ってみると、10年代の初頭、中国政府は経済に関する総合政策である、第12次5カ年(11~15年)計画の草案をまとめていた。

 その中で、EV、燃料電池車、プラグインハイブリッド車などの新エネルギー車に関する普及策として、中国全土の主要都市でバスやタクシーなど公共交通を主体として電動化を進める「十城千両」政策を推進した。

 十城千両では、深センがEV普及の重点地域として位置付けられ、深センを本拠とするBYDは地元の地方政府と連携して、MPV(マルチパーパスビークル)の初代「e6」をタクシーに仕立て、またBYD初のEVバスである「K9」を導入した。

2010年、BYDの初代MPV(マルチパーパスビークル)「e6」が展示されている様子2010年、BYDの初代MPV(マルチパーパスビークル)「e6」が展示されている様子 Photo by K.M.

 筆者が強く印象に残っているのは、10年11月に深セン市内の大型展示施設で開催された、国際的な電動化関連学会の第25回EVS(EVS25)だ。

 当時のEVといえば、グローバル市場で見るとまだまだ少量生産の特殊車両の域を超えておらず、テスラも初期モデルで英ロータス社から車体を購入した「ロードスター」の販売が伸び悩んでいる状況だった。また、日産はカルロス・ゴーン体制の下で、他の大手メーカーがまだ手を付けないEVに巨額の先行投資を行い、初代「リーフ」を世に送り出したばかりでもあった。

2010年11月に、BYDの地元である中国・深圳でのEVS25。EVやEVバスによる市内パレードの準備2010年11月に、BYDの地元である中国・深センでのEVS25。EVやEVバスによる市内パレードの準備 Photo by K.M.

 そのためEVSは、学識者や技術者による内輪の情報交換の場といった雰囲気だったのだが、EVS25ではまるで大型モーターショーのような雰囲気で、また中国政府関係者がEVに関する電池規格の草案について発表するなど、中国のEVに対する本気度を国内外に強く印象づけた大型イベントとなった。

 深センの地元企業であるBYDに対しては、中国政府高官が中国EV産業のけん引役になるとBYDを称賛していたことを思い出す。

 その後、十城千両は、北京、上海、そして深センなどの一部を除き、多くの地域で政府が目指す普及目標に達しないまま、国の政策としては打ち切りとなる。

 次の施策としては、乗用EVに対する購入補助金を拡充する戦略に転換し、自動車メーカーには事実上、EVなど販売台数目標の義務化を図るなどして、中国の電動化技術の産業競争力を高めていく。

 その中で、EVの主要部品であるバッテリーを含めた、トータルコーディネートができるBYDの存在感は中国のみならず、グローバルで注目されるようになる。

BYDのEV事業強みの背景には
地元での「まちづくり」

 こうしたBYDの事業の歩みを見てくると、BYDの特徴は、EVバスや乗用EVというハードウエアを販売するだけではなく、社会インフラ全体を構築するという企業方針にあると思う。

 それは、BYDの地元である深センで、EVバスの他、EVタクシーの普及を進める中で、地方自治体や中国政府と「まちづくり」という観点で、BYD社員一人一人がEV事業を認識するようになったからではないだろうか。

 そうした企業姿勢や企業方針を、日本でBYDのEVバスを購入したバス事業関係者の多くが、BYDジャパンを通じて理解しているからこそ、日本でのEVバス事業でBYDの市場シェアは7割を超えているのだと思う。

 もちろん、BYDのEVバスの価格は日系バス・トラックメーカーの3分の1から半分程度とリーズナブルであることも、バス事業者にとってのBYDのEVバスの魅力であることも明らかだ。

 このほか、BYDは日本の事業者向けに電動フォークリフトの販売事業を拡張している。

 こうした社会基盤としての公共交通分野や事業向け分野で日本社会とのつながりを広げながら、BYDは今回の乗用EV市場への参入決定に至ったといえる。

 BYDは今後、EVを単なるクルマとしてではなく、社会インフラの一部という観点も含めた国内マーケティング活動を展開する可能性があるのではないだろうか。その動向を見守っていきたい。