現在、国際社会は大きな変化の中にあり、情勢は不安定だ。これから我々も大きな決断を迫られるときがあるかもしれない。未来のことは誰にもわからないが、過去に学ぶことは大事だろう。歴史上、日本は外国とどう付き合ってきたのか。東京大学史料編纂所教授、歴史学者であり『東大教授がおしえる やばい日本史』『東大教授がおしえる さらに! やばい日本史』監修者の本郷和人氏に聞いた。(取材・構成 小川晶子 写真・梅沢香織)

東大教授が教える「日本のびっくり外交」ベスト3

本郷和人(ほんごう・かずと)
東京都出身。東京大学・同大学院で石井進氏・五味文彦氏に師事し日本中世史を学ぶ。大河ドラマ『平清盛』など、ドラマ、アニメ、漫画の時代考証にも携わっている。おもな著書に『新・中世王権論』『日本史のツボ』(ともに文藝春秋)、『戦いの日本史』(KADOKAWA)、『戦国武将の明暗』(新潮社)など。監修を務めた『東大教授がおしえる やばい日本史』はシリーズ69万部のベストセラー。最新刊『東大教授がおしえる さらに! やばい日本史』も好評発売中だ。

びっくり外交1 上から目線の手紙を送った聖徳太子

――日本は島国で、江戸時代は鎖国をするなど外国と関係を持っていない時期もあったと思いますが、歴史的に見て外交の始まりはいつ頃でしょうか?

本郷和人氏(以下、本郷):日本の外交は、中国に使者を送るところから始まります。一般的に「中国への使者」で思い浮かぶのは聖徳太子の「遣隋使」ではないでしょうか。隋に小野妹子を派遣したというものです。実はこれがかなりびっくりな外交なのですが、それを理解するためにもう少し時代を遡りましょう。

 中国に使者を送ったのは聖徳太子が初めてではありません。3世紀半ば、三国志の時代に最も勢いのあった「魏」に邪馬台国の卑弥呼が使いを送っています。魏の皇帝から「親魏倭王」という称号と銅鏡をもらい、喜んでいるんですね。東アジアの超大国である中国に認めてもらうことで、卑弥呼は力を得ていたんです。

 その次に、中国と日本の関係が示されるのが5世紀初頭。「倭の五王」が中国の歴史書に登場します。「讃・珍・済・興・武」という日本の5人の王が中国に使者を送っていたとされています。それぞれ誰に当たるのかはよくわかっていません。いずれにしても、超大国の中国に使者を送り、日本のトップとしての正当性を認めてもらおうとしていたのです。

――かつての日本では、外交といえば「超大国の中国に贈り物をして、代わりにお墨付きをもらう」というものだったんですね。

本郷:そうです。完全に上下関係があります。ところが、聖徳太子の遣隋使は違いました。『やばい日本史』では、こんなエピソードを紹介しています。

 聖徳太子は「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子にいたす」なんていう、とんでもなく上から目線の手紙を送って隋の煬帝をキレさせたんです。これは日本を「太陽が出てくる国」、隋を「太陽がしずむ国」とたとえたうえに、皇帝をあらわす「天子」という言葉を自分にも使うという、ダブルで上から目線な内容。

 煬帝からの返事の手紙は妹子が紛失したと報告していますが、おそらく見せられなかったんでしょうね。

――授業で習ったときは、聖徳太子って空気読めないのかな?って思いました。国力が全然違うのに、対等な感じでいったわけですよね。煬帝をキレさせたけれども、大変な目には遭わなかったのでしょうか。

本郷:不思議なことに、煬帝がキレたくらいですんじゃっているんですよね。そこから日本は中国と対等路線をとります。700年頃から「日本」という国号や、「天皇」という言葉を使うことを許され、漢字文化圏の中で唯一、独自の年号を制定することも許されました。

――聖徳太子は外交がうまかったということでしょうか。

本郷:資料が少ないので聖徳太子がどこまで計算していたのかはわかりませんが、結果的に成功していますね。ただ、日本は東アジア世界の中でド田舎で、海に隔てられていることが特別扱いになった理由として大きいのかなとは思います。

びっくり外交2 モンゴル皇帝からの手紙を無視し続けた北条時宗

本郷:元寇も、神風が吹いて日本が大勝利したことになっていますが、モンゴルの皇帝フビライ・ハンは本当に日本を征服する気があったのか疑問です。

――『さらに! やばい日本史』の中で、北条時宗のモンゴル軍から日本を守った若きヒーローとしての「すごい」面と、実は手紙も国際ルールも無視しまくってモンゴル皇帝をキレさせたという「やばい」面が紹介されていました。

東大教授が教える「日本のびっくり外交」ベスト3

本郷:2度も日本を襲ったモンゴル軍ですが、その前にフビライ・ハンは何度も手紙を送ってきていました。無視せず挨拶に行けば、攻めてくることもなかったでしょう。北条時宗は無視を決め込んだので、モンゴルは偵察がてら兵を送ってきたのです。それでは、時宗は何か対策していたかというとそれもなし。

 3万人のモンゴル兵が対馬に上陸して、村人数百人が殺害されることになりました。それでも無視する時宗。それどころか手紙を持ってきた使者を殺すという国際ルール違反までおかしましたからね。フビライ・ハンはキレて14万人もの兵を送ってきたのです。これが2回目の元寇です。やらなくていい戦争を引き起こしたという意味で、相当やばい外交でしたね。

びっくり外交3 陸奥宗光のびっくり外交

――あともう一人、びっくりするような外交をした人物を挙げるなら誰ですか?

本郷:びっくりというより、感心するのは明治の外交で大活躍した陸奥宗光です。日本は幕末に欧米諸国との不平等条約を結ばされてしまいました。治外法権を認め、関税自主権を持たないという条約です。当時の国と国のおつきあいは今と違ってかなり暴力的ですからね。一度得た利益は手放さないのが普通です。それを撤廃させた陸奥宗光はすごいなと思うんですよ。

――どうやって撤廃させたのでしょうか。

本郷:当時の超大国イギリスはロシアとライバル関係にありました。そこに目をつけたんです。イギリスに協力をし、ロシアをけん制する代わりに治外法権を撤廃してくれと。世界情勢を見て説得していったのです。その後、陸奥宗光が能力を高く買っていた小村寿太郎が関税自主権の回復のために動きました。富国強兵で国を強くし、発言権を得るようにしていった。明治の人たち、えらいなぁと思いますね。