日銀・黒田総裁10年分の講演録70万字の頻出ワードを分析、歴代総裁との違い鮮明Photo:Bloomberg/gettyimages

日本銀行の黒田東彦総裁を含む総裁別「頻出ワード」を抽出した。すると、政策の違いは「ある単語」に表れていることが分かった。植田新総裁が「ある単語」を多く語るかどうかは、今後5年の金融政策を見通す上でも重要だ。(東京大学大学院経済学研究科教授 渡辺 努)

黒田総裁は10年で何を語ったか
金融政策を頻出ワードで徹底分析

 日本銀行総裁の交代が間近となり、この先金融政策がどのように変更されるかに関心が集まっている。例えば、YCCの修正や撤廃があるのか、日銀の保有国債や財務はどうなるのか、といった点だ。

 いずれも大事な論点であることは間違いないが、同時に、これらは日銀のオペレーションに関するテクニカルなものだ。金融市場に影響を及ぼすことはあっても、国民の生活への影響は限定的だろう。

 より問われるべきは、日銀の行う「政策」だ。そこで、総裁交代を迎える前に、黒田日銀が展開してきた政策の特徴を、講演の「文字」を手掛かりに調べてみよう。

 黒田東彦総裁は2013年4月から約10年間で77回の講演を行っている。文字数にして実に約70万字にも及ぶ。単行本数冊分の量だ。その70万字は黒田日銀が展開してきた政策の根幹がどこにあったか、前任者たちとどう違っていたかを私たちに教えてくれる。

【経済学と文字】
 文字は読むもので、分析するものではないというのがごく最近まで経済学の常識だった。文字は数字ではないので、統計的な処理ができなかったからだ。
 しかし自然言語処理の技術が急速に進歩し、経済学もその恩恵を受けている。文字を数字に置き換える(非構造データを構造データに変換する)ことが可能になり、文字に統計処理を施せるようになったのだ。
 中でも最も恩恵を受けている研究分野のひとつが金融政策だ。中央銀行総裁の発するメッセージが市場の予想を変化させるという理論モデルは30年以上前から作られてきたが、肝心のデータでの検証はできなかった。総裁のメッセージが音声や文字だからだ。その状況がいま大きく変わりつつある(この点について詳しくは拙著『物価とは何か』を参照されたい)。

 下図は、歴代の総裁が行った講演のテキストを利用して、黒田総裁の発言が前任者たちの発言とどのように異なっていたかを調べたものだ。横軸は、黒田総裁の講演において1万字当たり1回以上登場した33個の単語を、左から登場頻度の多い順に並べてある。図の縦軸はその単語が何回登場したかを表している。

 ここでは単に単語の登場頻度を数えているだけで、複雑なことはしていない。それでも、黒田日銀の10年間の姿がくっきりと浮かび上がってくる。

 黒田総裁が最も頻繁に使った言葉は何だったのか。それは「物価」だ。

「物価」が単独で使われることもあれば、消費者「物価」や「物価」目標といったように使われることもあった。それらすべてを合算した「物価」の登場頻度は約39回だ。A4サイズの紙が1頁1000文字だとすると、1頁に平均4回、「物価」が登場したことになる。かなりの高頻度だ。

 頻度の高さは前任者たちと比較すると一目瞭然だ。黒田総裁の前任の白川方明総裁(08年から13年)は1万字当たり16回、さらにその前の福井俊彦総裁(03年から08年)は20回、「物価」を使っているので、決して少なくはない。しかし、黒田総裁は前任者たちの2倍以上の頻度で「物価」を使った。

 黒田総裁が「物価」をこれほど頻繁に使ったのは、日本の現状が「デフレ」との認識があったからだろう。「デフレ」の登場頻度は第7位で、その頻度は前任者たちの3倍超だ。

 裏を返せば、前任者たちはデフレという認識が乏しく、物価に何か問題が生じているという認識もなかった。だから「物価」を使うこともなかった。

 ここからは「賃金」や「金融機関」といった別の頻出ワードを歴代総裁と比較する。すると、黒田総裁の路線がそれまでの日銀とどのように異なるのか、考え方の違いまで深く見えてくる。