ムラの中では、「カラスは白い!」

 筆者は『「超」入門 空気の研究』で、空気=ある種の前提と定義しました。空気とは、組織支配のために押し付けられた「ある種の前提」であり、「この前提を起点に発想しろ」「この前提以外の考えはすべてダメ出しする」などの閉塞的な状況を生み出します。

 性加害の犯罪が「通過儀礼」「仕方ないこと」「秘密にすべきこと」などの前提(空気)となり、その前提に逆らうことが許されない状態。このような状態を可能にするのは、そのムラが巨大な権力を持ち、異論や問題の指摘を封殺する圧力を発揮できたからでしょう。〇〇ムラなどの産業構造がある日本社会にとって、これは今でも残る社会圧力の一種です。

 この状態は、ある特定のムラの中で「カラスは白い」という前提(空気)が強制される状況を考えると分かりやすいです。カラスを白いと決定し、その前提を保持するムラを創り上げて、外界と情報遮断する。すると、ムラでは「カラスは白い」という虚構を真実として設定して人々は演技をしながら生活する。

 現代日本でも、ムラの中で「カラスは白い!」と連呼する人たちは大勢います。もし「カラスは黒い」と真実を話す人がいれば、言論弾圧で黙らせる。あるいは「そういう発言をする奴がいるから、カラスが黒くなるんだ」とまで言う。これでは社会に閉塞感ばかりが積み上がるのも無理はありません。しかし日本という国では、今でも空気による圧力が(残念なことに)通用しているのが現実なのです。

「ムラの虚構」はどのように壊れるか

 カラスは白い、という世界を維持するためには、閉鎖的な空間が必要になります。山本氏は『「空気」の研究』の中で、“劇場という小世界”という言葉を使っています。カラスは白い、というのは明らかに虚構です。そして、劇場の中で共有している虚構は、観客が劇場の外に気付いた瞬間に崩壊します。

 それはムラ社会における「ムラの外」といえる現実です。今回の事件でも、英国BBCによる性加害の報道があり、その影響が日本国内でも無視できない状況に至ってはじめて日本のメディアでも本格的に事件が取り上げられたことは、皆さんの記憶に新しいことでしょう。

 私たち日本人が現在体験しているのは、「どのような巨大なムラにも必ずその外側がある」という現実への目覚めです。ムラの外側では、「カラスは白い」は一切通用しません。これは当然です。ムラの外の人間には、ムラの中の虚構を押し付けることができないからです。今後、「あらゆるムラにも、その外側が必ずある」という現実感覚は、日本人と日本社会に急速に広まっていくでしょう。その象徴の一つが、今回の事件でもあるのです。

自己保身を一ミリもしないリーダーを得られるか

 山本氏は、『「空気」の研究』で、空気を打破する4つの起点を挙げています。

【空気打破の4つの起点】
① 空気の相対化
② 閉鎖された劇場の破壊
③ 空気を断ち切る思考の自由
④ 流れに対抗する根本主義

 結局のところ、問題に対処できるリーダーは「過去のしがらみに縛られず」「ムラの外の常識を理解でき」「自らの保身を一瞬も考えず」「新たなウソを重ねない」人物ということになります。真実の追及と罪の償いに集中せず、自らの保身を何らかの形で優先すれば、新しいウソをつくことにつながるでしょう。そして、新たなウソを、社会はもはや容赦しない。

 昨日の前提で明日を描こうとしても、健全な未来は描けません。それは昨日の歪みを引き継いだ、いびつで醜い未来図になるからです。健全で良質な明日を描けるのは、未来にふさわしい前提を持ち、過去の空気を一切否定できる勇気あるリーダーのみです。そして、そのリーダーは「自分を守る」という考え方を、一切(完全に)捨てて難局に対処する必要があります。

 膨大な数の被害者を生み出して、日本社会を震撼させているこの事件で、上記のようなリーダーを得ることができるか否かが、組織が再生できるか、完全に消滅するかの分岐点になるのではないでしょうか。