AI時代、最重要の教養の一つと言われる「哲学」。そんな哲学の教養が、一気に身につく本が上陸した。18か国で刊行予定の世界的ベストセラー『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』(スコット・ハーショヴィッツ著、御立英史訳)だ。イェール大学オックスフォード大学で博士号を取得した哲学教授の著者が、小さな子どもたちと対話しながら「自分とは何か?」から「宇宙の終わり」まで、難題ばかりなのにするする読める言葉で一気に語るという前代未聞のアプローチで、東京大学准教授の斎藤幸平氏が「あらゆる人のための哲学入門」と評する。本稿では、同書より特別にその一節を公開したい。

頭のいい子に「育てられる親」「そうでない親」の決定的な違いPhoto: Adobe Stock

子どもを「論破」してもしょうがない

 真実について議論していたとき、息子のハンクは私がなぜそんなに気にするのかをたずねた。

「パパが哲学者だからさ」と私は答えた。「哲学者はすべてを理解したいと思うものなんだ。とくに真実をね」

「パパはあんまりいい哲学者じゃない」とハンクは言った。

「どうして?」

「パパの議論には説得力がない」

 思わず噴き出してしまったが、よし、それならハンクの相対主義をやっつけてやろうと思った。レックス(もう一人の息子)と初めてエアホッケーで遊んだとき、レックスは私にコツを教えようとしたことがあったが、そのときに似た気分だった。

 おいハンク、パパが自分の仕事のことをわかっていないとでも思っているのか。このシュート、止められるものなら止めてみろ。

 ということで、あの晩、私はハンクを論破したのだが、そのことを少し後悔している。哲学の目的は、人を説得することではないからだ。少なくとも私の哲学の目的ではない。

「世界への好奇心」を持ち続けられるよう支える

 20世紀の偉大な政治哲学者の一人、ロバート・ノージックは、「強制する哲学」と呼ばれるスタイルについて述べている。この種の哲学の実践者が追い求めているのは、「相手の脳の中に響きわたり、結論を拒否する者を抹殺してしまうほど強力な議論」だ。

 もちろん、そんな議論ができる人はいない。しかし、哲学の世界では自らの知性で他者を説き伏せようとする野心が横行しており、ハンクが示唆したような尺度で成功を測ろうとする人が多い。あなたの議論にはどれほど説得力があるか? あなたは何人に自説を受け入れさせたか?

 だが、私が追い求めているのは、昨日より今日、今日よりも明日、ものごとを少しでも深く理解するということだ。

 哲学が取り組むべきさまざまな問題に、私が答えを出すことができたらすばらしいと思う。その答えによって明るい見通しを得てくれる人がいるなら、もっとすばらしい。

 しかし、私は哲学をバートランド・ラッセルと同じように考えている。

「哲学は、私たちが望むようには多くの疑問に答えてくれないかもしれない。だが、少なくとも世界に対する関心を高めるような問いを発する力があり、ありふれた日々の生活の中にも不思議と驚きが潜んでいることを教えてくれる

 子どもはそんな不思議と驚きの中に生きている──教育がそれを圧しつぶしてしまうまでは。

 あなたの子どもがいつまでもそんな感覚を忘れずにいられるよう助けてあげてほしい。あなた自身も、同じ不思議と驚きを発見することを、心から願っている。

(本稿は、スコット・ハーショヴィッツ著『父が息子に語る壮大かつ圧倒的に面白い哲学の書』からの抜粋です)