日本の社会保障制度の多くは、1945年の敗戦後にGHQ指令を発端として構築された。生活保護制度もその1つだ。
日本では未だ、社会保障制度などのモデルを諸外国に求める傾向が強い。では、自国の目指すべき将来に関する既存のモデルを持たないそれらの国々では、人々はどう自分たちの生活を前進させようととしてきたのだろうか?
今回は、アメリカ・ボストン市郊外の一隅で約30年にわたって地域コミュニティづくりの中心となってきたNPOの、子どもの貧困への取り組みを紹介する。
貧困問題に立ち向かうボストン市郊外のNPO
「ダドリー・ストリート・ネイバーフッド・イニシアティブ」
2013年2月19日午後、私はアメリカ・ボストン市街から郊外へと向かうバスに乗っていた。地域の貧困問題に長年取り組んでいることで知られているNPO「ダドリー・ストリート・ネイバーフッド・イニシアティブ(DSNI)」に行ってみたかったからだ。DSNIには、事前に取材を申し込んではいたが、返事は得られていなかった。私は、建物と周辺の様子だけでも見てみたいと思った。
DSNIについて、読んで知ることはできる。しかし、どんな場所に、どのような佇まいで存在するのかは、現地に行ってみないと分からない。バスで郊外のバスステーションまで行き、さらに郊外へと向かうバスに乗り換える。周辺の景色は、市街地の景色から、寂れた住宅地の景色へと変わっていく。道路沿いに不動産・食料品などのショップがちらほら見受けられるが、見たところ、その半分程度は営業していない。営業していないだけではなく、窓といいドアといい、荒んだ感じの落書きでいっぱいだ。その界隈には、日本人の感覚からすれば「豪邸」に属するポストコロニアル調の家々が立ち並んでいるのだが、よく見ると、「For Sale」という立て看板があったり、人の住んでいる感じを全く受けない荒れ方をしていたりする。
目的のバス停で降りると、目指すDSNIの建物が見えた。私は道路を渡り、ドアの前まで行ってみた。せっかくなので、中に入って様子を見せていただき、資料をいただいて帰ろうと思った。そこで、カウンターにいたスタッフに、
「私は日本からやってきたライターで、こちらの活動に関心を持っています」
と自己紹介したところ、思いがけず、インタビューをさせていただく機会に恵まれることとなった。
インタビューに応じて下さったのは、シュゼ・M・バロス氏。1977年、24歳のとき、アフリカ・カーポベルデ共和国から移民としてアメリカにやってきたバロス氏は、ボストン市にある同国領事館の広報に従事した後、1996年からDSNIのスタッフとなった。ダドリー地域の住民であり、DSNIのメンバーでもあるバロス氏は現在、DSNIのCommunity Organizer and Plannerの役職にあり、教育・市民とのコーディネート・親たちへの働きかけ・アウトリーチの4つの業務に従事している。