京セラ創業、KDDI躍進、JAL再建――稀代の名経営者、稲盛和夫は何を考えていたのか?
2つの世界的大企業、京セラとKDDIを創業し、JALを再生に導きますが、稲盛和夫の経営者人生は決して平坦なものではありませんでした。1970年代のオイルショックに始まり、1990年代のバブル崩壊、そして2000年代のリーマンショック。経営者として修羅場に置かれていたとき、稲盛和夫は何を考え、どう行動したのか。この度、1970年代から2010年代に至る膨大な講演から「稲盛経営論」の中核を成すエッセンスを抽出した『経営――稲盛和夫、原点を語る』が発売されます。刊行を記念して、本書の一部を特別に公開します。

優秀だけどエゴ丸出しで金の亡者だった幹部社員を3日で改心させた「魂の説教」Photo: Adobe Stock

「われわれは金のために働いている」

私ども京セラの米国法人が昨年(一九九〇年)の一月にAVXという会社を買収し、また一昨年にはエルコという会社を買収しました。今まで七〇〇〇~八〇〇〇人だった海外従業員は、一気に一万三〇〇〇人にまで膨れ上がりました。新たな関連会社は、社長含め幹部が外国人ですから、フィロソフィの共有をしようということになり、幹部全員を集め、三日間の研修会をしました。

私は国内の従業員に、京セラフィロソフィという京セラ社員としての考え方を話してきましたので、それを何冊かの小冊子にまとめ前もって渡しました。集まったAVXの幹部たちは、MIT(マサチューセッツ工科大学)を卒業して博士号をもっている人や、プリンストン大学など、いわゆるアイビー・リーグに属する大学を卒業した、技術系が主です。

現地の統括会社の副社長はオレゴン大学で経営工学の教授を一八年間務めた経験があり、教育熱心なものですから、私のフィロソフィをまとめた冊子の翻訳をし、事前に配布してアンケートをとりました。

研修会前日の夕方にカリフォルニアに着き、アンケートを見たところ、コメントはひどいものでした。

「こういう哲学、フィロソフィを押しつけられたら、たまったものではない」というのが大体のコメントでした。なかんずく、「金のためにだけ働くことはダメだと書いてあるが、われわれは金のために働いている。金のためにだけ働くことはダメなどというのはとんでもない話だ」と言うのです。

そこで幹部たちと三日間議論をしました。在米で一番優れた同時通訳者を二人つけ、五〇人の幹部とディスカッションをしたのです。議論は、日本式経営がどうのといったような経営上の議論にとどまらず、歴史、宗教、哲学などの話もしました。また技術屋同士ですから、専門であるセラミックスなどのサイエンスの話もしました。

そうして結局、人間の本質論にまで入っていきました。われわれはなぜ働くのか、なぜ経営をしなくてはならないのか、などと哲学的な議論を三日間続けるうちに、われわれを成り立たせているものは何だろうか、それは真・善・美という魂の本源となるものであり、魂そのものは愛と誠と調和に満ちたものだという話になっていったのです。この会社は優秀な社員が多いのですが、その半面たいへんエゴイスティックな人が多い傾向があります。しかしその人たちが、三日目には全員納得しました。

そのとき、お金のためにだけ働くのはいけないという話がどうなったか。その結末がおもしろいのです。次のようなやりとりでした。

「われわれはお金のために働いている。それがなぜいけないのか」

「それはそれで構いません。われわれ人間は肉体をもっている以上、本能、エゴがあります。人間はエゴがなくては生きていられないので、エゴは必要なものです。ただし、エゴ丸出しではダメだと、私は言っています。お金のために働くことも、別に悪いことではありません。だからあなた方に、たくさんの給料を払っています。つまり、そのことについて否定はしていないのです。しかしお金だけを求めているのでは、人間は生きている価値がありません。『男は強くなければ生きてはいけない。優しくなければ生きていく資格がない』という有名な一節があるように、人生は金だけでは意味がないでしょう」という話をして、今の真・善・美の話をしていったのです。

「お金だけを求めていたのではいけません。もっと美しいものがあるはずです、というようなことを書きましたが、皆さんそう思いませんか。近所には、コミュニティのために、会社から帰ってから一生懸命ボランティアをしている人がいると思いますが、そのような人は立派だと思いませんか。会社が忙しいのに土・日二日間を費やして、教会のために一生懸命走り回っている夫婦を見て、偉いと思いませんか。このような、何の報酬も代償も求めずに一生懸命取り組むという美しい心がけの人を、立派だなと思うでしょう。私が言っているのもそういうことです。お金をもらうのがおかしいとは言っていません。お金だけでしか動かないというのでは、人としてあまりにもみっともないではありませんか」

このようなことを話しましたら、最後の日には、「われわれは、あなたのフィロソフィを共有することにしました」と言って、当初は一番の金の亡者だった幹部が、いの一番に賛成をしてくれました。

このように、魂のレベルから判断するという考え方は、外国人にも通用したのです。

(本原稿は『経営――稲盛和夫、原点を語る』から一部抜粋したものです)