改めて考えたらなおさら感じるけど、昭和歌謡は本当に豪華でした。その贅沢さというか、高度経済成長の中で、贅沢音楽みたいなのが出てきたというところが、ある意味時代を象徴していた気もします。昭和って喫茶店もやたら派手な内装が多くて、それに似てるのかな。ただ当時は、贅沢音楽という意識はあまりありませんでした。

 70年代から、歌謡曲が自由なものになっていくんです。60年代半ばは、作詞も作曲も、レコード会社が専属の作家を抱えていました。グループサウンズ以降から、フリーの作家の時代へと変わり、阿久悠先生、筒美京平先生たちの時代が訪れます。

 いい意味で、新しい作家たちが、それまでのタブーを壊していきました。歌謡曲の面白さはますます加速しました。「これからは、作詞の概念を変えなきゃいけない」と阿久先生も60年代から言い出していて、その通りに変えていきました。それまでは、「男が去って、女が泣いてすがる」というパターンの歌詞が多かった。そんな考え方は変わっていきます。歌の素材はもっとあるはずだというのが、阿久先生の持論でした。ピンク・レディーの「UFO」は、「『未知との遭遇』より俺の方が早い」っておっしゃっていたのが印象的でした。

 本心を言うと、僕は「昭和歌謡」という言い方は好きではありません。真の歌謡曲ファンとしては、その言葉を使ってしまうことで、歌謡曲が昭和限定のものになり、弱体化する気がして好きじゃないんです。

 その上で歌謡曲の定義を僕なりに解釈すれば、「分業制による音楽」ということになると思います。歌手がいて、作詞家、作曲家がいて編曲家もいる。その意味では、ロック歌手である桑名正博さんも、松本隆先生(作詞)、筒美先生(作曲)と組んだ「セクシャルバイオレットNo.1」は歌謡曲だし、ギタリストのチャーさんも、阿久先生の詞を歌っている時には歌謡歌手なんです。AKB48も職業作家である秋元康先生という歌謡畑の人が書いているから、歌謡曲の要素があります。アイドルはコンテンツの一つ。古くは、天地真理さんなどから繋がるアイドルの音楽もそれに準じています。