ついに本格的な政権交代が実現した。政治改革の悲願であった「二大政党制」が、日本に根づくことへの期待がもたれている。だがそれは、よき政治に向かう吉兆なのか?
メディアや言論人が「正しい」と思い込んでいる政治の「常識」を、比較政治学の立場から鮮やかにひっくり返す吉田徹氏(北海道大学准教授)。短期連載・第3回目は、吉田氏に日本政治の現在と未来ついて話を伺った。(聞き手・芹沢一也)。
鳩山政権は、本当に「脱官僚」できるのか?
――民主党政権が発足してから1カ月がたちました。「脱官僚」に注目が集まっていますが、いまのところ吉田さんの評価はいかがでしょうか?
吉田:民主党の閣僚は、大臣室の部屋に立て篭もって手元にマニフェストを置いて指示することが「脱官僚」だと思っているようですが、それが正しい姿なのか疑問に思えます。実のところ、政党と政府の関係は政治学でも難問です。このマニフェストが経典になってしまっていて、いわば文化大革命の時の「毛沢東語録」になってしまっている、との指摘さえあります。
吉田徹 1975年東京生まれ。慶応義塾大学法学部卒、日本貿易振興機構、東京大学総合文化研究科、日本学術振興会特別研究員を経て、現在北海道大学法学研究科准教授(学術博士)。専門は比較政治学、ヨーロッパ政治。著書に『ミッテラン社会党の転換――社会主義から欧州統合へ』(法政大学出版局)、『二大政党制批判論 もうひとつのデモクラシー』(光文社新書)など。 |
問題は「脱官僚」を意識するあまり、その実、議会制民主主義の根幹が揺らいでいることです。政党は、「国家」と「社会」を橋渡しするためにあります。ところが、日本では政党が社会からそもそも遊離してしまっているために、国家そのものを乗っ取ることが民主主義的だと思われている。議員立法の原則廃止や大まかな方針しか示さない首相がその良い例です。政治学でも、「政党」と「政権」の関係をどう考えたらよいかについて定説はありません。しかし、内閣とは飽くまでも議会に対して責任を負う社会の代表である、という議院内閣制の基本原則に立ち戻らなければ、官邸主導の掛け声のもと倒れてしまった安倍内閣と同じように、空中分解してしまう可能性すらある。
民主党政権は、「マニフェスト」という軸と「政権与党」という軸のいわば交差点に位置する政権です。この軸のバランスがどうなるかで、政権の方向性は決まります。
マニフェストを柔軟にして与党の立ち位置を強めていけば、社会の代表としての性格を失っていきます。その逆もあり得ますが、政権発足から1ヵ月、真価が問われている局面にあります。民主党は「しがらみのない」政治の実現のために「脱官僚」を掲げたわけですが、その「しがらみのなさ」とは、一体全体何を意味しているのか、そもそも本当に「しがらみのない」政治なんてものはありうるのか、それを熟考しなければ、意味はありません。