政治分析ツールの社会実装を目指し
スタートアップのVETAを設立

「私の専門は“政治学方法論”と呼ばれる分野です。政治学と統計学を掛け合わせ、社会の動きの背後にある因果関係のメカニズムを、データを用いて統計的に実証するための分析ツールを開発しています。この研究テーマに取り組んだのは、既存の政治学理論や定説を支えるエビデンスが脆弱だと感じたからです。データの収集や分析の方法に欠陥があると気付き、それを正す研究を始めました」

そう語るのは、早稲田大学政治経済学術院の山本鉄平教授だ。米マサチューセッツ工科大学(MIT)で教授を務めるなど、政治学方法論の研究が先行する米国で18年間にわたり、政治・社会データ分析の統計手法の研究と開発に携わり、2024年6月に現職に就任。翌25年4月に早稲田大学発のスタートアップであるVETA(ヴィータ)を設立し、早稲田大学ベンチャーズ(WUV)から約2億円の創業投資を受けた。

「VETAを立ち上げたのは、人々が持つ“本来の価値観や希望”と、現実の“意思決定”との間に生じるズレによって不幸になる状況を少しでも減らしたいと考えたからです。研究のためだけのツールではなく、社会全体で広く使われることで真価を発揮するアルゴリズムを開発したため、起業して社会実装する道を選びました」

山本教授が開発した独自アルゴリズムは、マーケティング分野で用いられてきた従来のコンジョイント分析を発展させたもので、「VE(Value Elicitation)法」と名付けられた。

「例えば自動車の場合、色・車種・燃費・価格といった要素をランダムに組み合わせた“仮想の車AとB”を提示し、どちらかを選んでもらうのを繰り返すことで、購買者がどの要素を重視しているかを推定していきます。従来のコンジョイント分析は調査側にしか利点がありませんでしたが、VE法では回答直後に“あなたはこの要素を重視しているので、お薦めはこれです”とフィードバックを行います。その結果、真剣に回答してくれる人が増え、データ品質も向上します。このVE法は現在、早稲田大学発の知見として特許出願中です」

参議院選挙のボートマッチに
独自アルゴリズムを提供

VE法を初めて社会実装したのは、25年7月の参議院議員選挙である。日本経済新聞社と連携し、ボートマッチ(有権者が自分の考えに合う政党や候補者を探すウェブサービス)のアルゴリズムとして提供した。

「従来のボートマッチは全ての項目を同じ重みで扱いますが、実際には政策ごとに重視度は異なります。政党という“パッケージ”を選ぶ以上、相いれない要素をまとめて受け入れる必要もあります。そこで私たちは、各政党の政策を要素化し、それらをランダムに組み合わせた二つの“仮想政党”を提示しました。例えば“減税+防衛強化”と“増税+社会保障拡充”のように相反する要素を並べ、どちらを選ぶかを問う。こうした選択から、その人が何を重視しているかを把握し、最終的に実在の政党にマッピングしてマッチ度を数値化しました。これが私たちのボートマッチの核となる仕組みです」

その結果、参院選のボートマッチは100万を超えるアクセスを集め、回答件数は52万件に達した。学術調査のサンプルがせいぜい数千件であることを考えると、桁違いのデータ量だ。多くのユーザーが最後まで回答したのは、回答直後の個別フィードバックが効果を発揮したからだという。

さらにこのデータからは、従来のボートマッチでは得られなかった視点が明らかになった。

「私たちはしばしば“保守vsリベラル”の左右軸で政治を語りますが、今回のデータからは“既存政党vs新興政党”という別の軸も浮かび上がりました。例えば、れいわ新選組と参政党は思想的には離れて見えますが、政策レベルでは一致点が多く、平均的なマッチ度では自民党よりも参政党の方がれいわ支持者に近い場合もありました。消費税など特定の論点が、左右を超えて作用している可能性があります。評論家の分析ではなく、有権者自身の選択から構図が見えてくる点が、新手法の面白さであり強みです」

VE法は政治以外にも応用可能だ。例えば自治体の図書館整備。駅からの距離や蔵書数、多機能化など、全てを望む声があっても現実にはトレードオフがある。従来のアンケートでは「全部欲しい」という回答しか得られなかったが、VE法を使えばどの要素をより重視するかを明確にでき、EBPM(エビデンスに基づく政策立案)の有効な手法になる。

「民間分野では人材マッチングが有望です。学生の価値観を可視化して企業をレコメンドでき、企業も自社に合う学生を把握できる。婚活やパートナー探しにも応用できます。コアアルゴリズムはすでに完成しているので、今後は実データを集めて改良を重ね、応用領域を広げていく予定です」

早稲田大学ならではの
支援と人材リソース

3回連載:【早稲田大学「社会を変える知性」】第1回「研究」/政治学の知を社会実装へ。早稲田大学発「VETA」が開く新地平世界水準の研究拠点として早稲田大学を選択した山本教授
■プロフィール■
2006年東京大学教養学部卒業、11年米プリンストン大学政治学部Ph.D。24年まで米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授。24年6月より現職。近年の因果推論を用いたコンジョイント分析手法の開発、および既存のサーベイ手法に対する優位性実証研究における論文の主要著者。政治・社会データ分析のための計量的・統計的手法の開発と応用に広く関心を持つ。特に因果推論・社会調査・実験計画のための統計的方法論に造詣が深い。

24年までMITで教授を務めていた山本教授が、次の舞台として早稲田大学を研究拠点に選んだのは、研究クオリティーと社会的インパクトの両立を重視し、分野横断や社会実装に積極的に投資・支援する体制があるからだという。

「米国の大学は研究専業体制が整っており、研究者が事務作業を抱えない仕組みです。日本の大学は教員が多様な業務を担いがちですが、早稲田大学はその課題を認識し、改善に動いています。起業の面でも大学系VC(ベンチャーキャピタル)が早い段階から伴走してくれ、TLO(技術移転機関)とも密に連携し、知的財産や利益相反の整理を支援してもらいました。VETAの事業化では、早稲田大学のブランド力、そして社会で活躍する卒業生ネットワークの強さも実感しました」

VETAの事業には大学の人材リソースも活用されている。CEO(最高経営責任者)は早稲田大学政治経済学部および経済学研究科修士課程修了の原健人氏、CKO(Chief Knowledge Officer)は政治経済学術院教授の日野愛郎氏。事業拡大には政治経済学部の学生や院生もインターンとして参加している。

「学生には、自身の研究に直結するスキルを身に付けてもらっています。文系院生のキャリア不安は構造的な課題ですが、研究スキルを社会実装に生かす道を示せば、優秀な人材がアカデミアと産業界の両方で活躍できます。政治経済学部は統計やプログラミング教育を強化しており、理系的スキルを持つ学生も多い。研究と事業を往復しながら、統計やデータ分析に強い人材を育成していきたいと考えています」

VETAの起業によって、山本教授の研究も進化した。

「これまでの研究は“社会を理解するツール”を作ることが目的でしたが、今は“社会を変えるツール”へ一段進んだと感じています。参院選を通じて多くの人が“自分がどの政策を重視しているか”に気付いたはず。印象やスキャンダルでなく、政策に基づいて考える人が増える。そんなきっかけを与えられるツールを磨いていきたい。そして、VETAの活動を政治以外にも広げ、“価値観の不一致が生む不幸を減らす”ことをグローバルに追求していきます」

社会の選択をデータで支え、人々が自らの価値観に基づいてより良い決断を下せる未来をつくる。VETAの挑戦は、政治学の知を社会の幸福に変える新たな実験でもある。そのチャレンジを支えているのが早稲田大学Global Research Center(GRC)だ。

早稲田大学Global Research Center
社会変革をもたらす価値を創造する


早稲田大学Global Research Center(GRC)は、世界人類に貢献する研究テーマかつ社会的インパクトの大きい研究プロジェクトを戦略的に立ち上げ、文理の壁を越えて国内外の頭脳を結集、新たな社会価値の創出と将来ビジョンの実現を目指している。早稲田大学の研究活動をさらに強化するための司令塔の役割を担い、「自然災害から人命を救う」「戦争・紛争のない世界」「気候変動問題の解決」などの領域でプロジェクトを展開。若手研究者の育成にも力を入れ、早稲田大学の研究力を世界に発信する中核的な機関として、未来志向の学術発展に貢献している。

3回連載:【早稲田大学「社会を変える知性」】第1回「研究」/政治学の知を社会実装へ。早稲田大学発「VETA」が開く新地平早稲田大学発のスタートアップ、VETA記者会見の様子。左から早稲田大学 田中愛治総長 、VETA 原CEO、同 山本CSO、同 日野CKO、早稲田大学ベンチャーズ(WUV) 山本代表、同 大野CFO。人々の価値観を引き出すVE技術とアプリケーションを社会実装する
●問い合わせ先
学校法人早稲田大学
〒169-8050 東京都新宿区戸塚町1-104
【創立150周年記念事業特設サイト】 https://www.waseda.jp/150th/
【早稲田大学ウェブサイト】 https://www.waseda.jp/
■Global Research Center https://www.waseda.jp/inst/research/
■Global Education Center https://www.waseda.jp/inst/gec/
■Global Citizenship Center https://www.waseda.jp/inst/sr/