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ニッポン 食の遺餐探訪

西洋の歯ブラシの伝播、安価な中国製品の台頭…
なぜ「楊枝職人」は2度の危機を乗り越えられたのか

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第7回】 2013年6月5日
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 ある夜、料理店での出来事。食事を終えたひとりの女性客が店員を呼び止めて「黒文字を下さらないかしら」と訊ねた。

 店員は一瞬、首をかしげてからすぐに「かしこまりました」と頷いた。

 しばらくして戻ってきた店員は手に何本かボールペンを持っていた。

 「あのー、万年筆がなくて、ボールペンでも宜しいですか?」

 という話を昔、どこかで聞いた。料理屋さんでよく知られた笑い話らしいが、笑えるのは黒文字が楊枝を差す言葉だと知っている人だ。恥ずかしい話だが、僕は料理の仕事をはじめる前まで、黒文字が楊枝をさしていると正直、知らなかった。

 黒文字というのは楊枝の材料として、クロモジの木が用いられたことからついた呼び名だ。クロモジという樹木はさわやかな香りを持ち、昔から薬木として用いられてきた。枝や根を煎じたものは漢方薬でもあり、身近なところでは有名な『養命酒』の成分のひとつだ。

 そのクロモジでつくった楊枝は茶席などでは欠かせない道具であり、また日本人の生活に身近なものであった。

雨城楊枝は千葉県指定伝統工芸品のひとつ。雨城というのは久留里城の異名である
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 楊枝は元々、歯のケアのために用いられた。爪楊枝、という名前の由来も、ツメの代わりに歯を掃除するものだったからだ。日露戦争の折、日本兵の装備を見た外国人は歯磨きと歯ブラシ、そして楊枝を常に携帯しているのを見て感服した、というエピソードが残されている。

 ヨーロッパに行くと、商品名に『SAMURAI』とか『KIMONO』とついている楊枝を見かける。高品質な楊枝をアピールするのに日本というイメージがぴったりなのだろう。

 時代が下るにつれ、楊枝は日本人の暮らしからは遠ざかっていった。そのうち普段使いの楊枝は中国産などの外国からの輸入品にとって変わられて、今では普段使いできる国産のものを見つけることはちょっと難しい。

 しかし、今でも楊枝の最高峰が、千葉県君津市久留里でつくられていると聞いて、伺うことにした。そこで楊枝をつくっていたのは現代の侍のような雰囲気の人だった。

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

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