ダイヤモンド社のビジネス情報サイト
世界のビジネスプロフェッショナル 経営者編

ルパート・マードック
[メディア王]

【第17回】 2008年1月24日
著者・コラム紹介バックナンバー
1
nextpage

ルパート・マードック ルパート・マードック(1931~)は最も知名度が高く、最も悪名高く、そしておそらく最も偉大な現代のメディア王の1人だろう。オックスフォード大学を出てデイリーニュース紙で働いたあと、祖国オーストラリアに戻り、その父サー・キース・マードックからアデレードニュース紙の経営者の立場を譲り受けた。

 若くして成功をおさめて以来、世界を股にかけ、次々に企業買収を繰り返しながらそのメディア帝国の拡大を休みなく推し進めている。1980年代には映画とテレビの業界にも手を広げ、アメリカの20世紀フォックス社とフォックスTVを手に入れている。イギリスでは、「ザ・タイムズ」と「サンデータイムズ」の両紙を獲得、さらに印刷労働組合との厳しい闘いで勝利した。

 さらに、BスカイBと呼ばれている衛星テレビ局も発足させている。1980年代の終わりごろ、この帝国は資金繰りがつかない状態に陥ったが、徹底した債務の整理を行い、1990年代に向かってさらに前進を続けた。この間、アジアのスターTVも買収している。

生い立ち

 現在はアメリカ市民となっているキース・ルパート・マードックは、1931年3月11日、オーストラリアのメルボルンで生まれた。子どものころはビクトリア州ギーロングにあるギーロング・グラマースクールで教育を受けた。平均点を超えていた英語以外は、それほど大した成績でもなかった。本人も、学校では「根っからのなまけ者」だったと言っている。スポーツにはまるで縁がなかった。学校のクリケットの試合では、100点を取るようなプレーをするより、その試合中に外野の向こうで腕立て側転をしているほうが多かった。スポーツのグラウンドでやる気を見せなかったために懲罰の対象になったのは、1度や2度ではない。

 1950年、イギリスに渡りオックスフォード大学のウスターカレッジで経済学を学ぶ。大学時代、労働党のレーバークラブの会長に立候補して落選した。後にマーガレット・サッチャーによって強化された保守的イデオロギーを支持した政治的信条の持ち主としては、これは興味深い選択だった。ただし、マードックが本物の教育を受けたのは、1952年に祖国オーストラリアに戻るまで働いた、フリート街にあるデイリーエクスプレス紙からであった。

成功への階段

 オーストラリアに戻ると、マードックは新聞社の経営者になるチャンスを与えられる。その父、メルボルンの発行人サー・キース・マードックの死によって、アデレードニュースを引き継いだからだ。これがメディアの大立者マードックの出発点となる。

 当初、取締役会は「アデレードニュース」の経営のすべてを駆け出しの若者に委ねてしまうことに反対した。しかし、マードックはノーと言われて引き下がるような人物ではなかった。きっぱりと大衆化路線への舵を切った。「女王、ネズミを食べる」という類のセンセーショナルな見出しによって発行部数が急増し、アデレードニュース紙には新たな活力が生まれた。

 アデレードニュース紙の成功によって、マードックの仕事に弾みがつく。シドニーのデイリーミラー紙を買収し、テレビ局にも手を出した。この時点では、新聞社の買収を進めたのは筋道を立てて考えた結果ではなく、目の前のチャンスを活かそうとしたからだ。

1
nextpage
関連記事
スペシャル・インフォメーションPR
クチコミ・コメント

DOL PREMIUM

PR
【デジタル変革の現場】

企業のデジタル変革
最先端レポート

先進企業が取り組むデジタル・トランスフォーメーションと、それを支えるITとは。

経営戦略最新記事» トップページを見る

最新ビジネスニュース

Reuters

注目のトピックスPR


おすすめの本
おすすめの本
「ザ・ビジネス 世界で最も偉大な経営者」好評発売中!

ジャック・ウェルチ、ビル・ゲイツ、松下幸之助ほか世界的な名経営者52人から学ぶビジネスの極意。彼らの生い立ちと、思想体系をコンパクトに凝縮。ビジネスパーソンとしての教養と見識が確実にレベルアップする1冊。2940円(税込)

話題の記事


世界のビジネスプロフェッショナル 経営者編

世界のビジネス界をリードした、偉大な経営者たちの生い立ちと実績を紹介。ジョブズ、ウェルチ、ゲイツ、ゴーン、孫正義、盛田昭夫、松下幸之助、本田宗一郎ほか。

「世界のビジネスプロフェッショナル 経営者編」

⇒バックナンバー一覧