「一定の年齢に達したら一斉に退職しなければならないなんて馬鹿げている(ridiculous)」

 シリコンバレーで開催された「日本のこれからを話し合う」パネルディスカッションでのパネリストの発言である。このアメリカ人は日本のある大手電機メーカーに15年間勤務して、現在は当地の有力ベンチャー企業に勤めている。日米両方の制度に精通している。発言の表現がきつく、語気が荒々しかったので聴衆はビックリした。

 筆者も十数年前に、年齢による一斉退職で日本企業を退職した一人だ。その企業にも一定の年齢に達すると、役員で残れる人以外は一斉に退職し、第二の職場に移る慣習があった。多くの人は会社が勧めてくれた第二の職場に移った。慣習になっていると言われればあまり疑問に思わない。「とうとう来る時が来た」といった程度の感覚だった。私のように自分で第二の職場を決めた人は例外だった。

 日本の大企業では社員に格差をつけるのを嫌う。年齢が上がるにつれ給料も上がる。定年に達する頃には住宅ローンを完済し、老後は年金で生活できる生涯設計が基礎になっている。まさに至れり尽くせりの安全保障である。閉ざされた世界では「社内序列」が重要で、労働市場での「価値」は省みられない。歳をとればとるほど、「年齢」が雇用調整の唯一の判断基準となる。

 アメリカの雇用制度は日本と大きく異なる。この国では個人一人ひとりが、自分の価値を企業に売り込み、会社との間で合意した報酬内容で労働契約を結ぶ。この契約では給与のみならず、福利厚生を含めたすべての雇用条件がパッケージになっている。年齢が雇用基準になることはない。逆に「企業は採用に当たって、人種、性別、年齢等による差別をしてはならない」という法律まである。年齢による一斉退職を強要したら、法律違反になるかもしれない。

 米国も80年代までは、長年ひとつの企業に働いて、生涯かけて勤め上げるというのが珍しくなかった。だが90年代に入ると転職が頻繁に見られるようになった。これが必要となったのは、時代の変化が激しく、内部人材だけでは企業が競争力を維持できなくなったからである。外部人材採用の決め手は、大学での専攻分野、学位、職歴である。協調性はほとんど重視されない。