オバマ米大統領がシリアに対する限定攻撃の承認を米議会に求める声明を出した。さすがに秀才。難しい決断の責任を、議会に負わせる妙手だ。だが、米国は巨大な情報収集機構を持ちながら、過去何回も誤った判断を繰り返してきた。本当の問題は、大統領と側近の国家安全保障会議(NSC)が出す情報要求に応じて情報を上にあげるため、政府首脳部の思い込みを助長しがちな「制度」にある。

シリア内戦のこれまでの経過

 オバマ米大統領は8月31日、シリアに対する限定攻撃の承認を米議会に求める声明を出した。米議会は休会開けの9月9日以降に採決の予定だ。シリア内戦で政府側が化学兵器を使用すれば「Red Line(越えてはならない線)を越える」と言明してきたオバマ大統領は、攻撃しなければ国内タカ派から「米国の威信を失わせた」と非難され、一方攻撃してもシリアのアサド政権が倒れる見通しはなく「無益な戦争を始め失敗した」との汚名を着せられる、という窮地に立った。

 この「王手飛車」状態から脱出するには議会に下駄をあずけるのが巧妙な策だ。議会が大統領の出した動議を否決すれば大統領の威信は若干傷つくが、自分1人で「攻撃しない」と決めた場合に受ける非難、「攻撃せよ」と命じて失敗した場合の責任追及にくらべれば致命傷ではない。どちらに転んでも「これは議会がお決めになったこと」と言えば本人は軽傷ですむ。さすがは大秀才。ピンチの中、土俵際でくるりと体をかわし、議会に責任を負わせる妙手には感嘆の外ない。

 シリアは人口2100万人余、1人当りGDPは約2700ドルでアラブ世界では貧しい方に属する国だが、石油も年2000万キロリットル(カタールの約4割)程度出て半分近くは輸出している。シリアは長くオスマン・トルコ帝国に属したが、第1次大戦でドイツ側についたトルコは敗戦国となり帝国は崩壊、シリアはフランスの委任統治領となったが、第2次大戦後独立した。1970年に空軍司令官だったハーフィズ・アル・アサドがクーデターで政権を握り、彼が2000年に死去した後は眼科医だった次男バッシャール・アル・アサドが大統領になり、すでに43年間アサド家の独裁が続いている。

 アサド家はイスラム教シーア派の分派アラウィ派に属し、同派はシリア人口の12%、スンニ派が70%だから、少数派が多数派の上に君臨する形だ。2代目のバッシャール・アル・アサド(47歳)は少年時代は温厚な優等生で、ダマスカス大学医学部を出て、ロンドンの眼科病院で研修中、1994年に長兄が交通事故で死亡したため、急きょ呼び返され父の後継者となる教育のために軍に入り、父の死後34歳で大統領に就任した。ロンドンで知り合ったモデル並みの美人の妻アスマー(現在37歳)はシリア系英国人(父は心臓外科医)で、ロンドン大学キングス・カレッジ卒の才女。スンニ派であったためその結婚は両派の和解を示すものとして人気を博した。2代目アサド大統領は改革開明派で、国内では腐敗との戦いを進め、西欧諸国、近隣諸国との関係改善にも一時は相当成功した。