この母親にとって、自分と母親の関係や自分が娘に対して行っていることを肯定、正当化するには、自分の娘が「教員の孫娘にふさわしい」いい大学に進んで、自慢できる職業についてくれることが必要である。

 そうして立派になった娘が自分に感謝してくれるのなら、自分も癒されるし、母親のことも許せる。そうやってこの母は、親に対する恨みや怒りを自分の娘で解決しようとしていた。

 というと、いかにもこの母親が母親失格のように聞こえるが、そんなことはない。

 どんな母親にも多かれ少なかれそういう部分はあるのである。

 母にこうされたから私はそういう道を選ばない、という母親もまた、母の生き方を自分の人生に反映させているのである。

「私は自分の娘を束縛しない。自由を尊重する」という言い方も、一見話のわかる親のようでいて、その言葉自体が子どもを縛りつけることにつながることもある。

「こうあってほしい」と願う親の気持ちそのものが、否応なく子どもの人生にかかわってくるのである。

 そういう話を丁寧にした上で、無理してすぐにいいお母さんになろうとしなくていい、と伝えた。

あなたはお母さんと同じじゃない

 どんな母親も、娘にはこうあってほしいと思う理想や期待を抱いている。そうした気持ちは否定しなくていい。

 しかし、「自分のしていることが、お嬢さんにとって本当に意味のあることかどうか、ほんの少しだけ考えてみましょう」と私は提案した。

 そうすれば今までよりも母と娘の関係を客観的に見ることができて、イラつくことが少なくなるかもしれません、と説明した。

「あなたはあなたの母親と同じではないし、お嬢さんも子ども時代のあなたではありません。
 それぞれが違う考え方を持った別の人間であると思えれば、気持ちも落ち着いてくるでしょう」

 そう言うと、この母は何度もうなずいて、私にこう告げた。

「娘は娘ですよね。あの頃の私じゃない。
 なのに、いつも私は娘に自分を重ねて見ていました。
 今先生がおっしゃったように、私の母が少しでも私の気持ちを考えていてくれたら、こんなひどい母親にならなかったかもしれません。
 やってみます。あの子が本当に喜ぶかなあと子どもの気持ちを考えてみるなんて、母親なら当たり前ですよね」