なぜ知識偏重の入試しかできないのか
背景にある大学の苦しい台所事情

前回に続き、大学入試から考える日本の教育の問題点について、考えていきましょう。前回は、現在の入試制度は、マスコミが一括りに語る「知識詰め込み型」「知識偏重型」ばかりではないという現状、ただし私大文系学部に多い知識偏重のマークシート方式による入試に合格するために、高校時代は英語、国語、社会の知識をひたすら詰め込んでいる現状もあり、数学などのその他の科目の学力の剥落が起きていることを解説しました。

 これらは、前回、事例として挙げた早稲田大学をはじめ、多くの私立大学の先生方も上記のような問題は認識しています。

 私も、以前、早稲田大学総長にも申し上げたことがあります。そのときのお答えは、「言うことはよくわかっているが、入試は学部自治なので、総長とて介入できない」とのことでした。

 さらに、早稲田の合格のボーダーラインにいる受験生は、センター試験では85%から9割以上できているので、その受験生たちを、論文によらず、知識量でふるい落とそうとするから難問・奇問にならざるを得ないのです。論文ならば、知識の応用力・展開力を問えて、ボーダーラインの受験生を並べることができるのです。

 もし早稲田大学をはじめ、論文問題を出していいとなれば、早稲田大学の先生方も、京都大学や慶應大学に勝るとも劣らない良問をお作りになることでしょう。しかし、なぜ多くの私立大学が、論文式を本格導入できないのでしょうか? それは、早稲田大学総長のお答えにも滲み出ていたように、大学経営に関する問題が背後にあります。

 つまり、多くの私立大学は、受験料で稼がないと直ちに経営難に陥るということです。日本の私立大学の5倍の授業料を取り、さらに日本の私立大学より一桁多い寄付金を受け取っている米国の大学であれば、優秀な学生を取るために入学者選考はコストをかける投資対象と見ているのですが、授業料も抑えられ、寄付も助成金も少ない日本の私立大学の場合は、入学者選考は投資対象ではなく、お金を稼ぐビジネスとして見なければならないのです。