2014年3月3日、厚労省は「社会・援護局関係主管課長会議」を開催した。この会議は、次年度の生活保護行政が実際にどのように運用されるべきであるかを各自治体の担当課長に伝達する会議である。

改正生活保護法をめぐる国会答弁で何度も繰り返された「運用は変わらない」は、どの程度実現しそうであろうか? 運用のどこが、どのように変わる可能性があるのだろうか? 生活保護制度は、どのように変質させられようとしているのだろうか? 厚労省・課長会議の内容から、その実態を探る。

生活保護制度と戦争の
切っても切れない関係

2014年3月3日に開催された課長会議の様子。会場は厚労省内の会議室。全国の自治体から参加した担当課長たちと傍聴者たち
Photo by Yoshiko Miwa

 2014年3月3日、厚労省は「社会・援護局関係主管課長会議(以下、課長会議)」を開催した。この会議は毎年開催されている定例会議である。この会議には、全国各自治体で生活困窮者支援を担当する課長が参加する。厚労省の担当者から、次年度の困窮者援護に関して、あるべき運用の姿が伝達される。なお、実務を担当する係長を対象とした「係長会議」も開催されている。

 ここで「困窮者援護」に含まれるのは、生活保護のみではない。昨年12月、改正生活保護法と同時に成立した生活困窮者自立支援法による各事業も含まれる。また、忘れられがちではあるが、軍人恩給・中国残留邦人に対する支援・旧日本軍に従軍していて戦死した人々の遺骨収集も、この会議で取り扱われる。

 生活保護法が成立した当時の状況を考えれば、これは少しも不思議なことではない。1946年(昭和21年)に制定・施行された生活保護法(旧法)は、1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)の占領軍指令(SCAPIN403・SCAPIN775)によって、急遽制定された。背景には、終戦直後の日本の深刻な貧困状態があった。生活保護制度と旧日本軍軍人・中国残留邦人・戦死者・戦争障害者・ひとり親世帯(母子世帯)・戦災児童には、共通の背景があるのだ。

 生活保護法(旧法)は、1950年(昭和25年)、近代国家の福祉制度にふさわしい生活保護法(新法)に改正され、施行された。「国家責任」「無差別平等」「最低生活維持」「補足性」の原理は、このときに含められている。これらの原理は、2013年の改正生活保護法においても、あからさまに否定されてはいない。

 余談であるが、1949年(昭和24年)に制定された「身体障害者福祉法」も、一連の戦後処理の流れの中にある。つい最近、「全聾」ということになっていた作曲家が「実際はゴーストライターに作曲を行わせており、しかも聴覚に問題を抱えてはいるものの障害者手帳の交付対象ではなかった」という報道が話題になった。この作曲家をめぐる報道で障害認定基準に初めて接し、「なぜ、こう『ざっくり』としているのだろう?」という疑問を持たれた方々も多いのではないだろうか?