2014年2月22日より公開予定の映画「東京難民」(原作:福澤徹三、監督:佐々部清)が、静かな関心を集めている。どこにでもいそうな大学生が転落していく物語だ。
「東京難民」には、若年層の貧困が深いリアリティをもって描かれている。困窮状態に陥り、そこから脱出しようとして問題をこじらせ、蟻地獄に落ちたかのように転落を続けるしかなくなる……という、非常にありがちなパターンとともに。
原作者と監督は、この作品にどのような思いを込めたのだろうか?
映画の中のつくりごとではない「東京難民」
世の中にありふれている転落のパターン
映画「東京難民」の冒頭は、激しい雨が降りしきる河原のシーンだ。主人公である青年・時枝修は、暴行を受けて血まみれで河原に捨てられる。そして「俺はもう終わってる」と心の中でつぶやく。
東京都下の大学生だった修はある日、自分が在籍しているはずの大学を除籍されていたことを知った。ついで住まいを失い、ネットカフェ難民となり……と転落の一途をたどり、冒頭の河原のシーンとなる。まさに「東京難民」だ。
試写を見た筆者は、スピード感のある物語の展開と切実な描写の数々に釘付けとなった。描かれる「踏み外し」「転落」の数々は、実際に世の中にありふれているパターンばかりだ。修のたどった道は決して「映画の中のつくりごと」ではない。
映画「東京難民」は、来週・2014年2月22日より全国公開される。今回は、原作となった小説「東京難民」の原作者・福澤徹三氏と監督・佐々部清氏の、作品への思いを紹介したい。