「引きこもり支援」と当事者たちの思いとの間には、ズレがあるのではないか。
これまで行政の打ち出してきた“引きこもり施策”が、ことごとく「失敗」するのを見てきて、そんな違和感をずっと抱き続けてきた。
毎日、筆者の元に寄せられてくる数多くの読者からの文面には、「他の機関へ行けと言われた」「連絡が来なくなった」「お金がないとサービスを受けられない」など、現状の支援の窓口や仕組みへの不満や不信感であふれている。
なかなかすべての読者のメールに返事を出せないものの、とくに公的な支援機関において、当事者や家族への支援が上手くかみ合っていないという事例はおそらく、こうした反応を見聞きするだけでも、水面下に山ほど埋もれているのだろうと推測できてしまう。
国としても、地域に埋もれた引きこもり当事者たちに、ふたたび意欲を持ってもらって、働いてもらいたいと思っているはずだ。
しかし、せっかく前向きに意欲を出して活動し始めた人たちが、公的な支援機関に相談に行っているのに、税金を投入しながら、ミスマッチによって本人を傷つけ、結果的に引きこもらざるを得ない状況へと追い返している現実があるとしたら、何とも残念な話である。
「引きこもり当事者たちにとって居心地のいい場所とは、得てして、支援とは無関係なところに存在している」
そんな支援のあり方を考えるうえで、4月12日に行われたリレートーク「ひきこもる心を楽にする集会~当事者の声から対応・支援を考えよう」は、ヒントの詰まったイベントだった。