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ニッポン 食の遺餐探訪

クジラを食べ続けることはできるのか
千葉の捕鯨基地で見た日本人と鯨食の特別な関係

樋口直哉 [小説家・料理人]
【第22回】 2014年9月3日
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クジラ料理専門店「ぴーまん」で食べた鯨の刺身をのせた丼(ミンク)

 クジラの解体を見に行くことになった、と言ったら、何人かの知り合いから「クジラってまだ捕ってもいいの?」と驚かれた。クジラが給食の人気メニューだった時代から時は流れ、大方の日本人にとってクジラは「まあ、どうでもいい」存在になりつつあるのだと思う。せいぜい「クジラのベーコンは旨いけど高くなっちゃったから最近は食べないなぁ」と言ったところだろうか。

 こんな風に書くと気分を悪くする人もいるかもしれないので、クジラについてなにか書くのはとても難しい。捕鯨反対派と賛成派の意見も入り乱れているし、ある年代以上の人にとっては特別な存在だからだ。

 クジラにはある種のノスタルジーがある。

 日本人がクジラを食してきた起源は縄文時代にまでさかのぼることができるというが、本格的な発展は1570年ころに「突き捕り式捕鯨」という技術が誕生してから。江戸時代には沿岸に入ってきたクジラを小舟で取り囲む組織的な捕鯨方法が確立する。1832年に刊行された「勇魚取絵詞(いさなとりえことば)」という本には「鯨肉調味方」という付録がついていて、そこには解体された87のクジラの部位から、それぞれの部位の調理法、用途まで詳細に記述されている。

 クジラ文化は明治期に入ると一気に衰退する。日本近海に押し寄せた700隻を超える米英の捕鯨船による乱獲の影響で、鯨が捕れなくなったからだ。この時期、西欧諸国が鯨を捕り尽くす様子はたいしたもので、黒船でやってきたペリーが開国を迫った理由のひとつが「捕鯨船の物資補給のための寄港地確保」だったことはよく知られている話だし、鯨油を目当てにクジラを捕る雰囲気はメルヴィルの小説「白鯨」などからも窺い知ることができる。

 国際的な鯨保護の流れはこの頃からはじまり、1931年にジュネーブで国際捕鯨条約が締結される。これは乱獲により鯨油の価格が下落したことを背景に、生産量の調整を目的としたものだった。

 戦後、GHQによって遠洋捕鯨が許可されると、クジラは日本人の食卓に欠かせないものになる。この頃から高度成長にかけてまでが、日本人と鯨が最も深い関係を築いた時代かもしれない。昭和33年には牛・豚・鶏を抑え食肉消費の48%を鯨肉が占めていた。クジラ肉の消費量は昭和36~37年が最大で22万トン。給食などに大量の冷凍肉が供給されたので、先述の「給食で食べたイメージ」が確立された。

 日本が経済的に豊かになるにつれ、鯨肉の消費量は徐々に減少していく。豊かになったので無理をしてクジラを食べる必要がなくなったのだ。1972年に商業捕鯨モラトリアムが採択されるが、その当時の消費量は2万トン程度だった。

 時は流れ、今年3月には国際司法裁判所から南極海の調査捕鯨の中止命令がくだされたというニュースが流れたばかり。調査計画を見直すという選択肢もあるが、これからの先行きは不透明だ。現在の消費量は5000トンにも満たない。

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樋口直哉 [小説家・料理人]

1981年生まれ。服部栄養専門学校卒。料理人として活動する傍ら、2005年、『さよならアメリカ』で群像新人文学賞を受賞し、小説家としてデビュー。ほかの作品に『月とアルマジロ』(講談社)、『大人ドロップ』(小学館)、『星空の下のひなた。』(光文社)、『ヒマワリのキス』(徳間書店)、『アクアノートとクラゲの涙』(メディアファクトリー)がある。

 


ニッポン 食の遺餐探訪

和食を世界遺産に、という動きが農林水産省を中心にはじまっている。日本料理はここ十年余りの世界的な流行になり、外国の料理人の多くも関心を持っていて、誰もがそれを理解しようとしている。しかし、当の日本人の多くは日本料理を理解できていないのではないか。そこでこの連載では、日本の食を支えている道具や食材をつくっている生産者、職人を訪れて、私たち日本人が知らない日本の“食の遺餐”を紹介していく。 

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