タイトルの「ごめん!」は
研究者に向けた謝罪

 誤ってすむことではないけれど、私はこの国とこの国のみなさんに、とにかく「ごめんなさい」と言いたい。

 謝りたいことは、それこそ山ほどあります。そもそも、この日本という国で裁判を起こしたこと。これが、まず大間違いでした。

 私は日本を甘く見ていた。というより、無意識のうちに希望を抱いていたんです。正しいことを正しいと判断し、間違っていることは決然と悪いとする「正義」が、この日本の司法の場にはあると信じていました。

 ところが、日本の司法には正義に対する信念もなければ、善悪を判断しようという強い意志もなかった。

 このことを、私はうすうすと勘づいてはいたんです。だから、日本を離れて渡米しましたし、なんとなくそうなるんじゃないかとは思っていましたが、それでもまだどこかに日本という国を信じている部分があった。

 結果を見れば、これはまったくもって私の不明の至りでした。みなさんに日本の司法に期待を持たせて本当に申し訳ない。

「相当対価」の裁判の和解をした経緯については、本書に詳しく書きました。裁判についても最初のきっかけから、説明したつもりです。私がナゼみなさんに謝らなければならないか、それを読んでもらえばよくわかると思います。

 そして、特に日本の技術者や研究者に対して謝りたい。期待を持たせてしまってごめんなさいと言いたいんです。(2~3ページ)

青色LED訴訟は
教授側の敗訴?

「『相当評価』の裁判」とは、「青色LED訴訟」とか「中村裁判」などと呼ばれた裁判を指しており、中村氏が日亜化学工業(徳島県阿南市)の社員時代に職務発明したいわゆる「404特許」について、特許を受ける権利の原告(中村氏個人)への帰属の確認と、それが認められない場合の相当対価の支払いが争われたものです。

 04年1月、一審の東京地裁は日亜化学工業に対して原告が請求した約200億円の支払いを命じる判決を下し、日本の産業企業社会に大きな衝撃を与えました。被告はこの判決を不服として直ちに控訴し、一年後の05年1月に東京高裁が和解を勧告。日亜化学工業が延滞損害金を含めた約8億4000万円を中村氏に支払うことで和解が成立しました。

 しかしながら、中村氏が和解勧告を受け入れたのは勧告内容に納得したからではなく、このまま無益な裁判を続けるよりも、早期に終わらせて米国の大学での研究活動に没頭したいと考えたからです。もっとも、中村氏は和解勧告を受け入れた時点で「裁判に負けた」と総括しました。

 いずれにせよ、和解勧告の八億四千万円にはまったく納得できません。和解勧告の文書に、私の貢献度は「前例のない極めて例外的なものとして高く評価する」とありますが、それでも結果は発明の譲渡対価に上限を付けて八億四千万円としてしまった。

 私の貢献度が、これほど小さく見積もられた判断が出たということは、日本の技術者、研究者が司法に敗北したんだと思っています。いくらいい発明をしても、会社からは雀の涙ほどの報奨金でガマンしろと言われ、それを不服として裁判を起こしても会社側に有利な八億四千万円の上限のある発明の譲渡対価の判決しか出ないんですからね。

 こんな状況なら、優秀な技術者、研究者はドンドン海外へ流出していきますよ。日本に残っているのは、自分の待遇に不満を覚えず、企業や上司の言うことだけを聞くイエスマンばかりになるでしょう。(27~28ページ)