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岸博幸のクリエイティブ国富論

女川原発が示した教訓から再稼働問題を考える

岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]
【第278回】 2014年10月24日
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 経済産業大臣が小渕優子氏から宮沢洋一氏に交替となりました。しかし、原発再稼働の方針は変わらないため、これから年明けの川内原発再稼働までは、また原発論議や反対運動が盛んになるでしょう。その際、福島第一原発の事故ばかりが言及されると思われますが、女川原発が示した教訓も大事ではないでしょうか。機会があって女川原発の内部を見学して、つくづくそう思いました。

女川原発と福島第一原発の決定的な違い

 女川原発は東日本大震災の震源地から130キロしか離れていませんでした。福島原発よりも女川原発の方が震源地に近かったのです。だからこそ、地震加速度は女川の方が福島より大きかったですし、女川原発周辺では1メートルも地盤が沈下しました。また、原発に押し寄せた津波の高さは、福島も女川も同じ13メートルでした。

 即ち、女川原発は福島第一原発と同じかそれ以上の揺れと津波に教われたのですが、それにも拘らず、すべての原子炉が設計どおりに自動停止し、原子炉や使用済燃料プールを冷却する機能も守られました。さらに言えば、女川原発では、原発サイト内の体育館が避難所として被災された地元の人に提供され、最大で364名の被災者を受け入れました。

 どうして福島第一原発と女川原発で震災後にこのような違いが起きたのでしょうか。最大の要因は、女川原発の敷地の高さを14.8メートルにしたことです。女川原発を建設した当時、津波の高さの想定は3メートルだったのですが、文献調査で貞観津波(869年)、慶長津波(1611年)など過去の津波を考慮し、それだけの高さにしたとのことです。

 その他にも、電源喪失が起きないように高い場所に電源を置く、原発の管理棟の古いビルに耐震補強工事を行なうなど、考え得るあらゆる安全対策を講じてきたからこそ、女川原発はあの震災を耐え抜いて事故を起こさずに済みました。実際、1984年に女川原発が運転を始めて以降、2010年までになんと6600ヵ所の耐震工事を行なったそうです。

 だからこそ、2012年夏に現地調査を行なった国際原子力機関(IEA)が「女川原発は震源からの距離、地震動の大きさ、継続時間などの厳しい状況下にあったが、驚くほど損傷が少ない」という報告をまとめています。

 また、2013年には、世界原子力発電事業者協会(WANO)が、女川原発が日頃から緊急対応の準備に備えてきたこと、震災時には原発3基すべて安全に冷温停止させたこと、そして被災した地域住民を受け入れて地域とともに困難を乗り越えたこと、の3点を理由に、震災当時の女川原発所長に原子力功労者賞を授与しています。

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岸 博幸 [慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授]

1986年通商産業省(現経済産業省)入省。1992年コロンビア大学ビジネススクールでMBAを取得後、通産省に復職。内閣官房IT担当室などを経て竹中平蔵大臣の秘書官に就任。不良債権処理、郵政民営化、通信・放送改革など構造改革の立案・実行に関わる。2004年から慶応大学助教授を兼任。2006年、経産省退職。2007年から現職。現在はエイベックス・マーケティング株式会社取締役、エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社顧問も務める。

 


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