安倍首相は来年10月に予定された消費税の税率引き上げを1年半先送りし、この選択が国民に受け入れられるか、衆議院を解散して信を問う、と表明した。
消費税増税を担いできた自民・公明・民主の3党は、足並みを揃え「増税先送り」を主張している。3党だけではない。共産党も含めたすべての野党に「予定通り増税を」と主張する政党はない。
「信を問う」とは選択肢があることが前提だ。選択肢のない選択。そんな総選挙を強いる今の政権は正統性にも問題がある。解散劇の裏にある「2つの憲法違反」と政局重視の行く末には、どんな事態が待っているのか。
憲法に根拠なき裁量的解散
解散を規定する憲法の条文は、天皇の国事行為を定めた7条、内閣の不信任に関する69条がある。7条は内閣の助言に従って行う天皇の国事行為の1つとして「国会の解散」を挙げている。国事行為は天皇の権限ではなく、儀式としてのお仕事である。解散が決まった時、国会に行って詔勅を読むことを定めているのが7条だ。
69条は国会と内閣の対抗関係を定めた条文である。衆議院で内閣不信任案が可決された場合、あるいは信任案が否決された時に、首相は国会を解散して民意を問うことができる(対抗的解散)。
解散を定める憲法の規定はこの2つだけだ。首相が自分の都合のいい時に勝手に議会を解散していい(裁量的解散)、という根拠は憲法に見当たらない(もちろん裁量的解散を認める学説もある)。
新憲法になって解散は22回行われた。内閣不信任による対抗的解散は4回、残る18回は首相の専権事項として発動された裁量的解散である。なぜ憲法にない解散がまかり通っているのか。これは旧帝国憲法の名残ともいえる。
大日本帝国憲法は天皇に国会を解散する大権を与えていた。実際は首相が天皇に進言して解散を行っていた。実質的な解散の権限は首相にあったのである。この仕組みが踏襲されたようだ。
新憲法下による最初の解散は、占領下だった1948年、第二次吉田内閣によるものだった。ワンマン宰相と呼ばれた吉田は帝国憲法に倣って裁量的解散を試みた。だがGHQが認めない。解散は内閣が不信任された69条に限定されるとの解釈を示した。吉田首相は仕方なく、野党に不信任案を出させ、与党が協力して可決するという手続きを踏んだ。「馴れ合い解散」と呼ばれた珍事である。