今回(第4回)はいよいよ最終回です。これまで、吉本さんの言葉をひも解きながら、「エコロジー」「消費」について考えてきました。そこで見えてきたものは、本来人間は規律やルールを守れない生きものだということです。にも関わらず、新たな規律やルールを作り、さらに自分たちを縛ろうとします。ときにその規律やルールは、支配者や為政者にとって都合よく作られたものであることも多いのです。

糸井重里 その最たるものが、「経済」ではないでしょうか。いまの世の中は「経済」というルールに縛られている、ともいえます。「グローバル経済」なんてその典型でしょう。どこかの国がくしゃみをすれば、世界中がカゼをひいてしまう――そんな時代にさえなっています。経済は拡大し続けた結果、貨幣だけでなく、あらゆる指標や数値も生み出しました。数字や金額が一人歩きすることも少なくありません。「経済とは何か?」――その正体を見つけることがとても難しくなっているのです。

 しかし近年、地球温暖化をはじめとする環境問題がきっかけとなり、拡大・成長ありきの世界から、持続可能な世界へのシフトも求められています。20世紀が「経済の時代」だったとすれば、21世紀のいまは「経済の次に来るものを探す時代」に入っています。これまでの世の中のあり方を見直す時期に来ているのかもしれません。

吉本隆明
吉本隆明
1924年、東京都生まれ。「戦後思想界の巨人」と呼ばれ、1968年に発行した著書「共同幻想論」は当時のベストセラーに。詩人・文学評論家でありながら、社会、政治、宗教まであらゆるジャンルを扱う。著書に『ハイ・イメージ論』『超「戦争論」』など多数。

 最終回の今回は、その「経済」をテーマにしてみたいと思います。もちろん今回も、その答えにたどり着くヒントは、吉本さんの言葉の中にありました。それは、ある講演の中の言葉でした。

吉本隆明氏の肉声(講演録より)はこちら

 『経済学は支配者のための学問である』

 そう吉本さんは言い切ります。現代の経済社会の基礎となっている「経済学」は、支配者や指導者のために作られた学問だというのです。言い換えれば、「経済」=「支配者のための仕組み」とも言えるのです。

 そして吉本さんはこうも続けます。

 『もともと経済学や経済論は、支配者のために書かれたもの。ときには支配者にとって都合のよいウソが書かれていることもある。学者のように、たとえ支配者でない人が書いたものであったとしても、それは“指導者”としての目線、つまり上からものを見た形で書かれているものがほとんど。しかしそれを読んでいる一般大衆は、その目線の違いに気づかず、「経済とはこういうものだ」とどこかでだまされてしまうのです』

 『権力や指導なんかではなく、一般大衆としての目線でものごとを見るとどうなるのか――そういう視点を持つこと、それに目覚めることが非常に重要である』

 しかし残念ながら、現在の僕たちにはそれができていません。経済だけでなく、いろんなことについて支配者になったつもりで語りがちです。