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3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う

自衛隊の戦いを大きく変えた、2つの大震災

秋山謙一郎 [フリージャーナリスト]
【第6回】 2015年3月13日
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助けたくても助けられない──
阪神・淡路大震災での葛藤

2つの震災で、自衛官たちは体と命を張って戦った。 写真は東日本大震災での捜索活動
Photo:陸上自衛隊
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 「中隊長は見なかったことにしてください」

 年配の下士官がそう言うや否や、若い隊員たちは放置車両をどかし、瓦礫を押し退けた。

 1995年の阪神・淡路大震災。発生当時の災害対策基本法では、被災地で被害を受けた工作物または物件しか除去できなかった。放置車両をどかす行為は法に反する。

 そもそも彼ら陸上自衛隊第3師団所属の自衛官たちは、災害派遣(自衛隊内部では“サイパ”と呼ばれる)に基づいて現地に赴いたわけではなかった。被災地・神戸を管轄する陸自第3師団上層部の機転により“訓練”と称して近隣状況の視察にやって来ただけだ。放置車両をどかすことも瓦礫を押し退けることも、何ら法的根拠に基づかない行為である。法を遵守する立場にある自衛隊にあって、これは本来認められることではない。

 目の前に瓦礫に埋もれている人がいる。「助けてくれ」「助けてください」という声がこだまする。しかし助けてあげたくても助けられない。自衛隊法に基づく災害派遣命令が降りていないという、法の壁に阻まれている。

 壁は法だけではない。技術面でも問題があった。倒壊した建物の瓦礫ひとつ動かすにも専門知識が要る。下手に動かせば倒壊が進むこともある。消防と違い、そうしたノウハウを持たない自衛隊が勝手に手を出すことで、助かる命が助からない可能性もある。

 本当に動いていいものか否か。動きたくても動けない。現地に赴いた隊員のうち陸自中隊長、小隊長といった指揮官クラスの隊員たちは、ジレンマに悩まされていた。

 何の命令も権限もないのに自衛隊が勝手に動いた――。震災の混乱が収束してからそんな非難の声に晒されるかもしれない。自分たちは何を言われてもいい。しかし上層部に迷惑がかかる。大きな政治問題になるかもしれない。

 こうした閉塞感漂う状況のなかで出てきたのが、冒頭の下士官の言葉だ。現場にいち早く赴いた自衛官たちが、腹を括った瞬間だ。

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この3月で、東日本大震災から丸4年が経つ。大震災が日本に投げかけた課題の大きさは、計り知れないものがあった。足取りの遅い被災地の復興、安住の地を見つけられない被災者、心に傷を負ったままの遺族、再稼働の是非について議論が真っ二つに分かれる原発政策、そして今なお抜本的な議論が行われない防災計画――。いずれも多くの課題が残されたまま、時だけが過ぎ、記憶は薄れてゆく。日常で震災関連の報道が極端に減った今、我々メディアは自戒の意味を込めて「大震災4年目の今」を問いたい。3.11は決して「昔話」ではない。そう、「昔話」ではないのである。

「3.11を忘れない~大震災4年目の「今」を問う」

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