「幸せ食堂」繁盛記
【第十回】 2015年8月20日 野地秩嘉

旨い、安い、デカい! 
粋な横浜橋通商店街の元気な天丼屋が、
味と値段だけでなく、何よりも量にこだわる理由

“天丼・天ぷら界”のチャレンジャー

 豊野丼は天丼屋だ。天ぷら屋ではない。天丼はある。しかし、天ぷら定食はない。席はカウンターだけだ。狭い店だけれど、人気は高い。営業時間中はつねに店の前に行列ができている。並んでいる人を見ると、体格のいい若者がほとんど。なぜなら、豊野丼は盛りがいい。値段が安い。そして、使っている鮮魚、魚介、野菜は質がいい。デカい、安い、うまいという三拍子がそろっている。

 体格のいい人たちにとって、同店は、横浜橋商店街における大食のパラダイスだろう。

 メニューはこんな感じである。

 天丼は800円。ご飯は茶碗2杯分で、海老2本と野菜が3品つく。野菜はたとえば、長さ20センチくらいのかぼちゃ天、しいたけ1個、ピーマン半個といったところ。海鮮丼800円は海老、キス、穴子に野菜が3品。1200円の黄金丼ともなると、特大海老が2本に野菜が3品。丼の上に天ぷら群がそそり立っている。

 主人は山野雄二。横浜生まれで、高校を出てすぐに中央卸売市場にある実家の鮮魚卸売店で働いていた。

「ずーっと魚の商売をやっていた。市場で働いた後、午後はバンを運転して、横須賀まで魚の引き売りに行っていた。人とは話しながら魚を売っていたわけ。

 だから、人と話すのは大好きだ。天ぷら屋の主人って、じーっと鍋を見つめて、にこりともしない堅物が多いでしょう。でも、オレは違う。人生は楽しむもんだから、楽しく仕事をしている」

 確かに、この人は明朗快活である。天ぷら職人の類型からは外れている。

 彼はチャレンジャーだ。他の天丼屋、天ぷら店ではあまり出さない天タネを揚げる。

  たとえばマグロ天丼。

「えっ、まぐろを揚げるの?」と思うだろうけれど、妙な味ではない。普通、赤身の魚は熱を入れるとカタくなるけれど、主人が揚げたマグロはカタくはなかった。

「中トロの部分をレアで揚げるから」とのことだ。

 マグロだけでなく、ホタテ、イカの天ぷらもレアだ。市場で働いた鮮魚、魚介の目利きである彼だからこその天ぷらである。

 他にもユニークな天丼がある。

 アジ、イカ天丼は天タネが丼に乗りきれない。アジは丼にあるけれど、イカは別皿で出てくる。そして、イカ天にはねぎ、にんにくの素揚げが散らしてある。また、主人はご飯を余している客を見つけたら、玉子の天ぷらを作ったり、谷中しょうがをさっと揚げて出すことがある。いずれも、常連向けのサービスだけれど、初めて来た客にもやらないわけではない。

「すべてフィーリングでやっている」とのこと。

 びっくりするのはかき揚げ丼だ。巨大なかき揚げ丼の上には生玉子が載る。

「うちの子どもが小さかった時、『お父さーん、かき揚げが熱々で食べられないようー』と泣いたから、じゃあ、玉子を落とせば温度も下がるし、味もマイルドになると思ったんだ。そこで、子どもが食べているのをちょっともらったら、イケる味なので、こうやるようになった」

 邪道だと嘆くグルメ評論家はいるだろう。かき揚げに生玉子なんて信じられないと叫ぶ料理関係者もいるかもしれない。

 しかし、かき揚げ丼玉子載せはまずいものではない。かき揚げを玉子でとじた丼みたいなものだ。

 他にもチャレンジ精神にあふれた天タネには事欠かない。ピーマンのなかに牡蠣を詰めたもの、いんげんを巻いたサーモンをピーマンで包んだもの…。いずれも趣のある味がする。

 主人は言う。

「オレは『ダンチュウ』をはじめとして、グルメ雑誌はほぼ全部読んでるし、テレビの料理番組も録画して見ている。研究とチャレンジがオレの仕事だ」

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野地秩嘉 1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。出版社勤務、美術プロデューサーなど を経て、ノンフィクション作家に。食や美術、海外文化の評論、人物ルポルタージュ など幅広く執筆。近著に、「TOKYOオリンピック物語」「イベリコ豚を買いに」「打 ち合わせの天才」「アジア古寺巡礼」「アジアで働く いまはその時だ」など。


「幸せ食堂」繁盛記

この連載は、味がよく、サービスも悪くなく、値段はリーズナブルで、しかも、できればハイサワーやホッピーを置いている店のグルメガイドだ。ここで紹介される店は、金持ちの社長やグルメ評論家はまずいない。著者は、そういう店を「勤労食堂」「国民酒場」と呼ぶ。そこでは客が微笑しながら食べている。ほほえみながら食べている人と一緒にいることは至福だ。人生の幸せは勤労食堂もしくは国民酒場にある。

「「幸せ食堂」繁盛記」

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