市場経済への批判がやまない。社会的格差の発生、弱者の増大を捕らえて、市場原理主義、新自由主義への攻撃が続く。なぜ、日本人は市場競争に対する拒否反応が強いのだろうか。『競争と公平感―市場経済の本当のメリット』(中公新書)で、市場競争を好まず、同時に政府の再配分政策も望まない、という日本の特性を論じた大竹文雄・大阪大学教授に、上下二回に渡って聞く。

―日本では有力な政治家や著名な評論家が、市場経済の批判に際して「弱肉強食」という表現をいまだに好んで用います。しかし、それは勉強不足であって、弱肉強食がまかり通る経済の仕組みを市場経済とは言えません。公平・公正な競争ができるようにルールや運営方法を整えるのが市場経済の本質であり、独占禁止法などさまざまな法制度や監督機関が整備されてきた。それでも、強者が弱者を蹂躙するような市場であれば、それは市場の質が低いということだから、高品質化する努力をしなければならない。これが先進諸国の常識ですが、日本では通用せず、市場経済自体の否定に向かってしまう。なぜでしょうか。 

大竹文雄 (おおたけふみお)
1961年、京都府生まれ。83年、京都大学経済学部卒業。85年、大阪大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。大阪大学経済学部助手などを経て、現在は大阪大学社会研究所教授。労働経済学専攻。2005年に『日本の不平等―格差社会の幻想と未来』(日本経済新聞社)で、サントリー学芸賞、日経・経済図書文化賞、エコノミスト賞を受賞。他にも著書多数。

 市場における競争を、多くの人が望んでいるわけではありません。競争好きな人は、少数でしょう。競争にさらされること自体がつらいことですし、競争に敗れればそれまでに勝ち取ったものを失ってしまうかもしれない。それまでに勝ち取ったものを、既得権と言い換えてもいいでしょう。競争に負ければ既得権が奪われ、市場から退出しなければならないかもしれない。

 昨今は、そうした市場の競争に敗れそうな人々、既得権を失いそうな人々を社会的弱者と呼ぶ風潮が高まっています。つまり、「弱肉強食」という表現を用いた市場経済批判は、「弱者という名の既得権者を守ります」という政治的なメッセージになっているわけです。その訴えの有効さをよく知っているから、政治家などは好んで使うのでしょう。日本社会には漠然とした「競争への嫌悪感」があり、そこを煽ると効果的であることも、政治家はよくわきまえています。そうして、市場の再規制、競争制限に向かいます。

 しかし、市場の外にはもっと弱い人々がいる。それは指摘されることなく、無視されています。

―市場の外にいるもっと弱い人々とは、どんな人たちですか。

 市場の競争に入れてもらえない人たちです。能力が高い人も優れたサービスのアイディアを持っている人も、市場競争の外に置かれ、競争のチャンスを与えられなければ、力を発揮したくてもできません。

 競争に負けそうな人々の脱落を防ぐには、さまざまな規制や参入障壁を設けて市場競争を制限することになります。そうなると当然、外からの参入機会も失われます。機会均等を奪われた彼らは、“競争に敗れた弱者”にすらなれないわけです。こうして、規制は目に見えない格差を生む、その不平等について弱肉強食論者が語ることはありません。