1998年に経営破綻した日本長期信用銀行。エリート集団として高い評価を受けていた行員たちは、社会から糾弾され、辛酸をなめることとなった。経営破綻から17年、2000年に新生銀行として再出発してから15年。苦悩の日々を潜り抜け、自ら人生を切り開いた長銀OBの激動の十数年に迫る。(経済ジャーナリスト/宮内健)

「現在は楽しいことしかやらなくていい」

西口 敦さん

「いまがダントツに楽しいですね」

 1991年入行の長銀OB、西口敦さんはこれまでのキャリアを振り返ってそう語る。

 西口さんは長銀から転職し戦略コンサルティング会社、A.T. カーニーとボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に勤務した後、複数の企業を経て2011年に個人事務所を立ち上げた。仕事の内容は経営コンサルティングのほか、グロービス経営大学院で教壇に立ち、クリティカルシンキングやプレゼンテーション、マーケティング・戦略などの講座を受け持っている。

「自分の得意なこと、楽しいことしかやらなくていいのが最大のポイントです。好きな人、好きな会社としか付き合わなくていいんです。わがままなように聞こえるかもしれませんが、自分の得意なこと、楽しいことをやっているときは付加価値を生み出せているときなので、お客さまも喜んでくれるんです」

 かつて結婚情報仲介最大手、オーネットのマーケティング部長を務めていたときには『普通のダンナがなぜ見つからない?』(文芸春秋)を出版し、婚活に詳しいコンサルタントとしてメディアに登場していたので名前をおぼえている人もいるだろう。

 経歴だけを見ると自力でキャリアを切り開き、自由奔放に活躍している人という印象を受けるが、長銀時代はそんなタイプではなかった。入行して2、3年目のころに日銀の考査で4兆円にものぼる不良債権を指摘されたと耳にしたときは「なんという人生の大失敗を就職のタイミングでしてしまったのだろう……」と嘆き、長銀以外の人気企業に就職した同級生らをうらやんだ。

「圧倒的な債務超過の状態にあるこの会社は、延命策をとるしかない。なんて俺は不幸なんだ、と思いました。就職時の意思決定の失敗で人生が決まってしまうなんて……。やっぱり都市銀行にしておけばよかったかな、と後悔したり。そのときは転職人生なんて選択肢になかったし、『自分の人生は自分でコントロールできる』とは思いもよりませんでしたから」

 長銀という当時の人気企業に「就社」した西口さんはいかにその枷を外し、「自分の人生は自分でコントロールできる」という生き方にシフトしていったのか。